織り込み済みの資本主義(注A)
― 想定された未来と、想定外の修正 ―
はじめに
経済ニュースを見ていると、「織り込み済み」(注1)という言葉がよく出てくる。
よい材料が出ても、すでに織り込み済みだったために反応が小さい。将来の悪化を織り込んで、価格や投資判断が先に動く。まだ起きていないことが、すでに現在の判断に入っている。このような表現は、金融市場のニュースでよく使われる。
ただ、この「織り込み」という言葉は、市場の値動きだけに収まるものではない。将来への見通しが、現在の価格に入る(注2)。将来への見通しが、企業の投資判断に入る。将来への見通しが、借入や家計の支出にも入る。
このように見ると、「織り込み」は、第一話で見た成長の加速と、第二話で見た逆流を読み直すための言葉になる。
第三話では、この「織り込み」を手がかりに、想定された未来が現在をどう動かし、想定外の出来事がどのように修正を迫るのかを見ていきたい。
第一章 期待が、現在の判断に入るとき(注B)
期待とは、将来をどう見るかである。織り込みとは、その期待が、現在の価格や投資や借入や支出の前提に入り込んだ状態である。
将来の利益が伸びそうだ。将来の需要が増えそうだ。将来の所得が続きそうだ。金利や物価はこのくらいで動きそうだ。
こうした見通しが、単なる予想として頭の中にあるだけなら、それは期待にとどまる。その見通しを前提にして価格がつき、企業が投資し、家計が支出し、借入が組まれるようになると、それは現在の判断に織り込まれた状態になる。
価格には、将来への見通しが入る。
企業の価値(注C)は、いま見えている利益に加えて、将来の利益や需要への見通しも含んでいる。将来の利益がどれくらい伸びるのか。将来の需要がどれくらい広がるのか。そうした見通しが、現在の価格に先に入り込んでいく。
投資にも、将来への見通しが入る。
工場を建てる。人を雇う。技術へ資金を投じる。こうした判断は、いま利益が出ているから行われるだけではない。将来も需要がある。売上が伸びる。投じた資金を回収できる(注3)。そうした見通しがあるから、企業は現在の資金を動かす。
借入にも、織り込みは入っている(注4)。
企業が借入をするのは、将来の売上や利益によって返済できると見込むからである。家計が住宅ローンを組むのも、将来の所得がある程度続くと見込むからである。借入は、現在のお金を増やす手段であると同時に、将来の収入を現在の判断に入れる行為でもある。
支出にも、将来への見通しは入る。
家計は、いまの所得だけでなく、これからの所得、雇用、生活費、家族構成の見通しを含めて支出を決める。将来に安心感があれば(注D)支出は広がりやすくなり、将来への不安が強ければ支出は慎重になりやすい。
本稿では「織り込み」という言葉を、金融市場の価格形成だけでなく、企業の投資判断、家計の支出判断、借入の判断にも広げて使う。そこに共通しているのは、まだ来ていない将来が、すでに現在のお金の動きに混ざっているという点である。
第二章 織り込みで見える三つの状態
織り込みという視点で見ると、経済には大きく三つの状態がある。
加速が織り込まれている状態。低速が織り込まれている状態。そして、織り込まれていなかったことが突然入り込む状態である。
良い将来が織り込まれると、現在は前へ動きやすくなる。将来の売上や利益が大きくなると見込まれれば、企業は投資しやすくなる。将来の所得が伸びると見込まれれば、家計は支出しやすくなる。将来の利益が強く見込まれれば、金融市場では資産価格も上がりやすくなる(注5)。
これが、第一話で見た成長の加速である。
未来への期待が現在を動かし、その現在の動きがさらに未来への期待を支える。織り込みは、成長を先取りして現在を加速させる。
一方で、弱い将来が織り込まれると、現在は慎重になりやすい。将来の売上が伸びにくいと見込まれれば、企業は投資に慎重になる。所得が増えにくいと見込まれれば、家計は支出を抑えやすくなる。将来の利益が弱く見込まれれば、資産価格も下がりやすくなる。
これが、第二話で見た逆流である。
弱い将来が現在の判断に織り込まれていくと、企業も家計も守りに入りやすくなる。その守りが重なると、投資や支出はさらに弱まり、低い回転が続きやすくなる。
低い成長でも、それがすでに織り込まれているなら(注6)、社会はその速度に合わせて動く。投資は控えめになり、借入も慎重になり、価格もその見通しに合わせてつけられる。明るい状態とは言いにくいが、想定の範囲内であれば、社会はその低い速度で回ることができる。
大きな揺れが起きるのは、織り込んでいた将来と、実際に見えてきた将来が大きくずれたときである。将来はこうなるはずだ、という前提が現在の価格や投資や借入に入っているほど、その前提が崩れたときの修正も大きくなる。
第三章 織り込まれていなかったものが現れるとき
織り込まれていなかったものが突然見えると、現在の判断は大きく揺れやすい。
上がり続けると思われていた資産価格が下がる。返せると思われていた借入が返しにくくなる。安全だと思われていたものに、大きなリスクがあると分かる。こうした認識の変化が一気に起きると、価格も投資も借入も、同じ前提では見られなくなる。
ここで起きているのは、織り込まれていた将来の書き換え(注E)である。
それまで現在の判断を支えていた未来が、別の未来として見え直される。将来の利益、需要、信用への見方が変われば、その見通しを前提にしていた価格や投資や借入も見直される。
織り込み直しとは、未来の見方が変わるだけでなく、その未来を先に入れて動いていた現在の判断が書き換わることである。
その修正は、一か所で止まりにくい。価格が下がれば、資金調達や担保価値(注7)への見方も変わる(注F)。投資が慎重になれば、取引先の売上や雇用にも影響する。借入が重く見えれば、企業も家計も守りに入りやすくなる。
織り込まれていなかった悪材料が現れると、経済はただ悪くなるだけでなく、前提そのものを組み替えながら失速していく。
第四章 日本で見る三つの織り込み
ここでは、日本経済を例にしながら、織り込みの状態を三つに分けて見ていく。
実際の日本経済は、為替、海外景気、財政政策、金融政策、人口動態などが複雑に絡み合っている。ただ、この章では話を広げすぎず、「何が将来として織り込まれていたのか」という一点に絞って整理したい。
加速が織り込まれていた状態として分かりやすいのは、高度成長期(注8)である。
この時期には、将来の需要が増える、所得が伸びる、企業の売上も広がるという見通しが、社会全体に入り込んでいた。企業はその見通しのもとで設備を増やし、人を雇い、技術を取り入れていった。家計もまた、所得が伸びていく感覚の中で、耐久消費財や住宅、教育への支出を広げていった。
ここで織り込まれていたのは、単なる楽観ではない。「来年も、数年後も、今より大きくなる」という感覚が、投資や雇用や支出の判断に先に入っていた。だから企業の投資は次の需要を生み、所得の伸びは家計の支出を支え、その支出がさらに企業の売上見通しを強めていった。
加速が織り込まれるとは、将来の拡大が現在の行動を前へ押し出す状態である。
次に見るべきなのは、ニクソンショック(注9)後から石油危機(注10)後にかけての時代である。
固定相場の終わり、国際環境の変化、石油危機によるコスト構造の変化によって、高度成長期と同じ速度を前提にすることは難しくなった。ここでいったん、加速の前提は揺らいだ。
しかし、この時期に起きたのは、低速への沈み込みだけではなかった。
企業は省エネルギー化(注11)を進め、生産の効率を高め、技術更新や輸出競争力によって新しい条件へ適応していった。高度成長期のような一直線の加速は続きにくくなったが、制約を織り込んだうえで、別の形の成長が現在の判断に入り込んでいった。
つまり、ニクソンショック後の低速は、失速のまま定着した低速とは性格が違う。
速度は落ちた。だが、その低下を前提にしながら、企業は新しい投資や生産の形を組み直していった。ここでは、低速がそのまま社会を縛ったというより、低くなった速度の中で、もう一度加速の形が織り込み直された(注G)と見ることができる。
もう一つの低速の例が、失われた30年(注12)である。
ここでは、低成長、低インフレ(注13)、弱い賃金上昇が長く続いたことで、企業も家計も「大きく伸びる将来」を強く見込みにくくなった。企業は投資や賃上げに慎重になり、家計は支出に慎重になる。金融市場や政策判断にも、強い成長より、弱い回転を前提にした見方が入り込みやすくなった。
この低速は、速度が落ちた後に新しい加速へ組み直された局面とは違う。
低い速度そのものが長く続き(注H)、その速度が企業や家計の判断に深く入り込んでいった。将来の需要を強く見込めないから投資に慎重になる。所得の伸びを強く見込めないから支出に慎重になる。その慎重さが、さらに低い速度を固定していく。
織り込まれていなかったことが突然入り込んだ状態としては、バブル崩壊(注14)が分かりやすい。
土地や株の価格には、将来も価値が上がり続けるという見通しが入っていた。その前提で資産価格がつき、借入が行われ、投資や消費の判断も組み立てられていた。その見通しが崩れると、価格は下がり、担保価値は弱まり、借入の重さが前に出てくる。
バブル崩壊で起きたのは、資産価格の下落だけではなかった。
それまで現在の判断に入っていた将来の姿が、一気に書き換えられた。上がり続けるはずだった価格が下がる。返せると思われていた借入が重くなる。前向きに見えていた投資が、過剰な負担として見え始める。織り込まれていなかった現実が突然入り込むと、価格も投資も借入も、同時に見直されることになる。
こうして見ると、日本経済の局面は、「良いか悪いか」だけでは整理しにくい。
加速が織り込まれていたのか。低くなった速度の中で、もう一度加速が織り込み直されたのか。低速そのものが深く織り込まれていったのか。織り込まれていなかったことが突然入り込んだのか。
このように分けると、同じ成長率や物価や投資の動きも、違った意味を持って見えてくる。
第五章 低速を織り込んだ社会は、何が難しいのか
低速が長く続くことと、低速で回る社会になっていることは分けて見たい。
成長率が落ちる局面では、社会は新しい速度を探している。低い速度そのものが長く続くと、その速度が企業の投資判断や家計の支出判断に入り込んでいく。
ここに、第四章で低速の例を二つ置いた意味がある。
ニクソンショック後から石油危機後のように、加速の前提が揺らぎながらも、新しい条件の中で別の加速を織り込み直す局面がある。一方で、失われた30年のように、低い速度そのものが長く続き、企業や家計の判断に深く入り込んでいく局面もある。どちらも速度の低下を含んでいるが、社会への入り込み方は同じではない。
低速で回る社会では、企業は大きな需要を見込みにくくなる。
需要を見込みにくければ、投資に慎重になる。投資が弱ければ、賃金も伸びにくくなる。家計は所得の伸びを見込みにくくなり、支出に慎重になる。その慎重さがさらに低速を固定していく。
低速が織り込まれた社会では、ただ「もっと成長すればよい」と言うだけでは足りない。
企業が将来の需要を見込めること。家計が所得の伸びを見込めること。投資や賃上げが、無理な賭けではなく、次の循環につながる判断として見えること。そうした見通しが少しずつ現在の判断に入っていくことで、社会は低速を前提にした状態から、加速を織り込める状態へ移りやすくなる。
問題は、成長率という数字だけではなく、その数字の背後にある将来への見通しにある。
低速を織り込んだ社会から、加速を織り込める社会へ移れるのか。この問いを立てると、問題は「どの数字を上げるか」だけではなくなる。企業が需要を見込めるか。家計が所得の伸びを見込めるか。投資や賃上げが、次の循環につながる判断として見えるか。そこに目が向く。
低速から抜けるとは、数字だけを押し上げることではなく、企業や家計が次の動きを見込める状態をつくることでもある。
おわりに
「織り込み済み」とは、ニュースの便利な言い回しにとどまらない。期待が、現在の価格や投資や借入や支出の前提に入り込む仕組みを表す言葉である。
何がすでに織り込まれているのか。何がまだ織り込まれていないのか。いま何が織り込み直されているのか。
この三つを見ることで、経済の数字は少し違って見えてくる。
将来を先に入れるから、資本主義は速く進む。将来が書き換わるから、資本主義は速く揺れる。
「織り込み済み」とは、その速さと揺れの背後に、どんな未来が入っているのかを読むための言葉である。
注釈一覧
(注1)
織り込み済み 好材料や悪材料が、すでに価格や判断に反映されている状態を指す。株価や為替のニュースでは、材料が出ても価格の反応が小さいときに使われやすい。
(注2)
現在の価格に入る 株価は「半年先の景気を映す」と言われることがある。これは厳密な法則ではなく、株価が現在の実績だけでなく、先の業績、需要、金利、リスクへの見通しを先取りして動くことを表す言い方である。
(注3)
投じた資金を回収できる 企業の投資判断では、設備や人材に使った資金を、将来の売上や利益で回収できるかが重視される。需要の見通しが弱いと、現在の利益があっても投資は慎重になりやすい。
(注4)
借入にも、織り込みは入っている 借入は、将来の返済能力を前提にして行われる。企業では売上や利益の見通し、家計では所得や雇用の安定性が、借入のしやすさや条件に関わる。
(注5)
資産価格も上がりやすくなります 資産価格は、将来の収益や価値が高まると見込まれると上がりやすい。金利、信用環境、投資家の心理、海外情勢なども同時に影響する。
(注6)
低い成長でも、それがすでに織り込まれているなら 見込んでいた成長の速度と、実際に現れた成長の速度が大きくずれていない場合、企業や家計はその前提に合わせて動きやすい。混乱が大きくなりやすいのは、予測していた姿と実際の結果が大きく外れたときである。
(注7)
担保価値 担保価値とは、借入の裏づけとして差し出された土地、建物、株式などの資産が持つ評価額を指す。評価額である以上、資産価格や信用環境の変化によって見直されることがある。
(注8)
高度成長期 一般に、日本の高度成長期は1950年代半ばから1973年の第一次石油危機までを指すことが多い。所得の上昇、設備投資の拡大、都市化、耐久消費財の普及が重なり、成長が社会の前提になりやすい時期だった。
(注9)
ニクソンショック 1971年、アメリカがドルと金の交換停止を発表し、戦後の固定為替相場制が大きく揺らいだ出来事を指す。日本ではその後、円高圧力や国際環境の変化が企業活動に影響した。
(注10)
石油危機 1973年の第一次石油危機では、原油価格の急上昇が企業の生産費や家計の生活費を押し上げた。資源価格の変化は、日本経済が高度成長期と同じ前提で動き続けることを難しくした。
(注11)
省エネルギー化 石油危機後、日本企業はエネルギー消費を抑える設備投資や生産方法の改善を進めた。これは、資源制約を受け入れたうえで、生産性や競争力を組み直す動きでもあった。
(注12)
失われた三十年 バブル崩壊後の日本で、低成長、低インフレ、賃金の伸び悩みが長く続いた時期を指す表現である。時期の区切りには幅があるが、1990年代以降の長期停滞をまとめて語る言葉として使われる。
(注13)
低インフレ 低インフレとは、物価上昇率が低い状態を指す。物価が安定しているように見える一方で、賃金、価格設定、投資判断が動きにくくなる場合もある。
(注14)
バブル崩壊 1980年代後半に上昇した土地や株式の価格は、1990年代初めに大きく下落した。資産価格の下落は、担保価値、企業財務、金融機関の貸出姿勢に広く影響した。
(注A)
織り込み済みの資本主義 本文の「織り込み」は、金融市場の価格形成だけでなく、企業の投資、家計の支出、借入判断まで含む広い意味で使っている。金融市場では、将来の利益、金利、景気、政策、リスクへの見通しが価格に先に入る。実体経済では、将来の需要、所得、返済能力への見通しが、投資、雇用、消費、借入の判断に入る。 この見方は、将来期待が投資を左右するケインズ、債務と物価下落の連鎖を扱うフィッシャー、金融構造が不安定性を内側から生む過程を扱うミンスキー、バブル崩壊後の債務圧縮を扱うリチャード・クーなど、複数の理論と接点を持つ。 各理論が対象とする条件や危機の深さには違いがある。本文はそれらを一つの学説としてまとめるのではなく、将来への見通しが現在の投資・支出・金融判断へ戻ってくる共通の構造に焦点を当てている。
(注B)
期待が、現在の判断に入るとき ケインズは、投資が単純な確率計算だけで決まるとは考えなかった。将来の需要や利益には計算しきれない不確実性があり、企業家の確信や心理も投資判断に入ると捉えた。見通しの変化が投資を動かし、投資の変化が所得と需要へ波及するという関係は、有効需要の理論を構成する重要な部分である。 本文の「期待」と「織り込み」の区別は、この点と関係している。頭の中にある将来像は期待にとどまる。その期待が価格、投資、借入、支出の前提に入り、実際の資金の動きを変え始めたとき、本文ではそれを「織り込み」と呼んでいる。
(注C)
企業の価値 企業価値や株価を考えるときには、将来生み出す利益や現金収入を、現在の価値に引き直す考え方が使われる。将来の利益が大きいと見込まれれば評価は高くなりやすく、金利やリスクが高く見積もられれば評価は低くなりやすい。 この考え方では、企業の現在の価値は、過去の実績だけで決まるものではない。将来どれだけ稼ぐか、その稼ぎをどれだけ確かに見込めるか、金利がどの水準にあるかが評価に入る。本文で述べた「現在の価格に将来への見通しが入る」という説明は、この資産価格の考え方を一般読者向けに簡略化したものである。
(注D)
将来に安心感があれば 家計の消費については、現在の所得だけでなく、長い期間の所得見通しを含めて支出を決めるという考え方がある。フリードマンの恒常所得仮説や、モディリアーニらのライフサイクル仮説は、家計が一時点の収入だけを見て消費するのではなく、将来の所得や人生全体の収支を含めて支出を調整すると考えた。 一方で、将来の雇用や所得への不安が強まると、家計は支出を控え、手元資金を厚くしようとしやすい。これは予備的貯蓄の論点と関係する。本文では、こうした家計行動を細かい理論に分けず、「将来への安心感」と「将来への不安」という形で整理している。
(注E)
織り込まれていた将来の書き換え アーヴィング・フィッシャーの負債デフレ論では、物価や資産価格が下がる一方で、契約された債務額が残るため、債務の実質的な負担が増える。債務者が資産売却や支出削減で返済を進めると、価格や所得がさらに下がり、債務負担がいっそう重く見える連鎖も扱われる。 本文の「織り込まれていた将来の書き換え」は、物価下落だけに限った話ではない。将来の利益、需要、資産価値、返済能力への見方が変わることで、価格、投資、借入、支出が同時に見直される局面を指している。フィッシャーの議論とは危機の条件が異なるが、将来像の修正が債務や支出に波及する点で接点を持つ。
(注F)
担保価値への見方も変わる 資産価格が下がると、企業や家計が差し出している担保の価値も下がる。担保価値が弱まると、借入の条件は厳しくなりやすく、企業の投資や家計の支出にも影響が出る。このように、資産価格の変化が信用条件を変え、その信用条件の変化が実体経済をさらに動かす関係は、「金融アクセラレーター」と呼ばれる。 金融アクセラレーターの議論では、景気の変化が企業の財務状態を変え、その財務状態が次の資金調達や投資を左右する双方向の関係が重視される。本文の「価格が下がれば、資金調達や担保価値への見方も変わる」という箇所は、この論点と接点を持つ。
(注G)
低くなった速度の中で、もう一度加速の形が織り込み直された 成長率が下がることと、停滞が固定されることは分けて考える必要がある。外部条件が変わって速度が落ちても、企業や社会が新しい制約に合わせて投資、生産、技術、輸出の形を組み直す場合、低下した速度の中で別の成長経路が作られることがある。 ニクソンショック後から石油危機後の日本では、固定相場や安い資源を前提にした高度成長期の条件が揺らいだ。その一方で、省エネルギー化、技術更新、生産性向上、輸出競争力の強化を通じて、新しい条件への適応が進んだ。 本文では、この過程を、低速そのものが社会を縛る局面とは分けている。速度は落ちたが、その低下の中で投資や生産の形を組み直せた局面として扱っている。
(注H)
低い速度そのものが長く続き リチャード・クーは、バブル崩壊後に企業が利益最大化より債務返済を優先する状態を「バランスシート不況」として整理した。資産価格が下がり、企業の財務が傷むと、低金利でも借入や投資は伸びにくくなり、企業は手元資金を返済や防衛に向けやすくなる。 本文の「低い速度そのものが長く続き」は、この議論と接点を持つ。ただし、本文では企業部門だけでなく、家計の所得見通しや支出判断も含めて見ている。企業が投資や賃上げに慎重になり、家計が支出に慎重になることで、低速そのものが社会の前提として入り込んでいく局面を扱っている。
1.参考資料
- 加藤直也・川本卓司「企業収益と設備投資―企業はなぜ設備投資に慎重なのか?―」(2016年、日本銀行)
URL:
https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/rev_2016/rev16j04.htm
- 内閣府「令和7年度 年次経済財政報告 第2章第1節 個人消費の回復に向けて」(2025年、内閣府)
URL:
https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je25/h02-01.html
- 日本銀行「日本の『デフレーション』と政策対応」(2003年、日本銀行)
URL:
https://www2.boj.or.jp/archive/announcements/press/koen_2003/ko0304f.htm
- 経済企画庁「平成12年度年次経済報告 新しい世の中が始まる 第2章 持続的発展のための条件」(2000年、経済企画庁)
URL:
https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je00/wp-je00-0020j.html
- 内閣府「平成4年度 年次経済報告 第2章第6節 今次調整局面の特徴点と過去との比較」(1992年、内閣府)
URL:
https://www5.cao.go.jp/keizai3/keizaiwp/wp-je92/wp-je92-00206.html
- 資源エネルギー庁「平成29年度エネルギーに関する年次報告(エネルギー白書2018) 第1部第1章第4節 1970・80年頃~」(2018年、資源エネルギー庁)
URL:
https://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2018html/1-1-4.html
- 内閣府「平成14年度 年次経済財政報告 第1章第2節 デフレ下の企業・銀行・家計の行動」(2002年、内閣府)
URL:
https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je02/wp-je02-00102.html
2.深掘りするための一般書
- ジョージ・A・アカロフ、ロバート・J・シラー『アニマルスピリット』
URL:
https://str.toyokeizai.net/books/9784492313985/
- リチャード・クー『バランスシート不況下の世界経済』
URL:
https://www.books.or.jp/book-details/9784198637224
- 小林慶一郎『日本の経済政策――「失われた30年」をいかに克服するか』
URL:
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2024/01/102786.html
- 渡辺努『物価とは何か』
コメントを残す