カテゴリー: 経済

  • 現代資本主義の作動原理:3話

    織り込み済みの資本主義(注A)

    ― 想定された未来と、想定外の修正 ―

    はじめに

    経済ニュースを見ていると、「織り込み済み」(注1)という言葉がよく出てくる。

    よい材料が出ても、すでに織り込み済みだったために反応が小さい。将来の悪化を織り込んで、価格や投資判断が先に動く。まだ起きていないことが、すでに現在の判断に入っている。このような表現は、金融市場のニュースでよく使われる。

    ただ、この「織り込み」という言葉は、市場の値動きだけに収まるものではない。将来への見通しが、現在の価格に入る(注2)。将来への見通しが、企業の投資判断に入る。将来への見通しが、借入や家計の支出にも入る。

    このように見ると、「織り込み」は、第一話で見た成長の加速と、第二話で見た逆流を読み直すための言葉になる。

    第三話では、この「織り込み」を手がかりに、想定された未来が現在をどう動かし、想定外の出来事がどのように修正を迫るのかを見ていきたい。

    第一章 期待が、現在の判断に入るとき(注B)

    期待とは、将来をどう見るかである。織り込みとは、その期待が、現在の価格や投資や借入や支出の前提に入り込んだ状態である。

    将来の利益が伸びそうだ。将来の需要が増えそうだ。将来の所得が続きそうだ。金利や物価はこのくらいで動きそうだ。

    こうした見通しが、単なる予想として頭の中にあるだけなら、それは期待にとどまる。その見通しを前提にして価格がつき、企業が投資し、家計が支出し、借入が組まれるようになると、それは現在の判断に織り込まれた状態になる。

    価格には、将来への見通しが入る。

    企業の価値(注C)は、いま見えている利益に加えて、将来の利益や需要への見通しも含んでいる。将来の利益がどれくらい伸びるのか。将来の需要がどれくらい広がるのか。そうした見通しが、現在の価格に先に入り込んでいく。

    投資にも、将来への見通しが入る。

    工場を建てる。人を雇う。技術へ資金を投じる。こうした判断は、いま利益が出ているから行われるだけではない。将来も需要がある。売上が伸びる。投じた資金を回収できる(注3)。そうした見通しがあるから、企業は現在の資金を動かす。

    借入にも、織り込みは入っている(注4)

    企業が借入をするのは、将来の売上や利益によって返済できると見込むからである。家計が住宅ローンを組むのも、将来の所得がある程度続くと見込むからである。借入は、現在のお金を増やす手段であると同時に、将来の収入を現在の判断に入れる行為でもある。

    支出にも、将来への見通しは入る。

    家計は、いまの所得だけでなく、これからの所得、雇用、生活費、家族構成の見通しを含めて支出を決める。将来に安心感があれば(注D)支出は広がりやすくなり、将来への不安が強ければ支出は慎重になりやすい。

    本稿では「織り込み」という言葉を、金融市場の価格形成だけでなく、企業の投資判断、家計の支出判断、借入の判断にも広げて使う。そこに共通しているのは、まだ来ていない将来が、すでに現在のお金の動きに混ざっているという点である。

    第二章 織り込みで見える三つの状態

    織り込みという視点で見ると、経済には大きく三つの状態がある。

    加速が織り込まれている状態。低速が織り込まれている状態。そして、織り込まれていなかったことが突然入り込む状態である。

    良い将来が織り込まれると、現在は前へ動きやすくなる。将来の売上や利益が大きくなると見込まれれば、企業は投資しやすくなる。将来の所得が伸びると見込まれれば、家計は支出しやすくなる。将来の利益が強く見込まれれば、金融市場では資産価格も上がりやすくなる(注5)

    これが、第一話で見た成長の加速である。

    未来への期待が現在を動かし、その現在の動きがさらに未来への期待を支える。織り込みは、成長を先取りして現在を加速させる。

    一方で、弱い将来が織り込まれると、現在は慎重になりやすい。将来の売上が伸びにくいと見込まれれば、企業は投資に慎重になる。所得が増えにくいと見込まれれば、家計は支出を抑えやすくなる。将来の利益が弱く見込まれれば、資産価格も下がりやすくなる。

    これが、第二話で見た逆流である。

    弱い将来が現在の判断に織り込まれていくと、企業も家計も守りに入りやすくなる。その守りが重なると、投資や支出はさらに弱まり、低い回転が続きやすくなる。

    低い成長でも、それがすでに織り込まれているなら(注6)、社会はその速度に合わせて動く。投資は控えめになり、借入も慎重になり、価格もその見通しに合わせてつけられる。明るい状態とは言いにくいが、想定の範囲内であれば、社会はその低い速度で回ることができる。

    大きな揺れが起きるのは、織り込んでいた将来と、実際に見えてきた将来が大きくずれたときである。将来はこうなるはずだ、という前提が現在の価格や投資や借入に入っているほど、その前提が崩れたときの修正も大きくなる。

    第三章 織り込まれていなかったものが現れるとき

    織り込まれていなかったものが突然見えると、現在の判断は大きく揺れやすい。

    上がり続けると思われていた資産価格が下がる。返せると思われていた借入が返しにくくなる。安全だと思われていたものに、大きなリスクがあると分かる。こうした認識の変化が一気に起きると、価格も投資も借入も、同じ前提では見られなくなる。

    ここで起きているのは、織り込まれていた将来の書き換え(注E)である。

    それまで現在の判断を支えていた未来が、別の未来として見え直される。将来の利益、需要、信用への見方が変われば、その見通しを前提にしていた価格や投資や借入も見直される。

    織り込み直しとは、未来の見方が変わるだけでなく、その未来を先に入れて動いていた現在の判断が書き換わることである。

    その修正は、一か所で止まりにくい。価格が下がれば、資金調達や担保価値(注7)への見方も変わる(注F)。投資が慎重になれば、取引先の売上や雇用にも影響する。借入が重く見えれば、企業も家計も守りに入りやすくなる。

    織り込まれていなかった悪材料が現れると、経済はただ悪くなるだけでなく、前提そのものを組み替えながら失速していく。

    第四章 日本で見る三つの織り込み

    ここでは、日本経済を例にしながら、織り込みの状態を三つに分けて見ていく。

    実際の日本経済は、為替、海外景気、財政政策、金融政策、人口動態などが複雑に絡み合っている。ただ、この章では話を広げすぎず、「何が将来として織り込まれていたのか」という一点に絞って整理したい。

    加速が織り込まれていた状態として分かりやすいのは、高度成長期(注8)である。

    この時期には、将来の需要が増える、所得が伸びる、企業の売上も広がるという見通しが、社会全体に入り込んでいた。企業はその見通しのもとで設備を増やし、人を雇い、技術を取り入れていった。家計もまた、所得が伸びていく感覚の中で、耐久消費財や住宅、教育への支出を広げていった。

    ここで織り込まれていたのは、単なる楽観ではない。「来年も、数年後も、今より大きくなる」という感覚が、投資や雇用や支出の判断に先に入っていた。だから企業の投資は次の需要を生み、所得の伸びは家計の支出を支え、その支出がさらに企業の売上見通しを強めていった。

    加速が織り込まれるとは、将来の拡大が現在の行動を前へ押し出す状態である。

    次に見るべきなのは、ニクソンショック(注9)後から石油危機(注10)後にかけての時代である。

    固定相場の終わり、国際環境の変化、石油危機によるコスト構造の変化によって、高度成長期と同じ速度を前提にすることは難しくなった。ここでいったん、加速の前提は揺らいだ。

    しかし、この時期に起きたのは、低速への沈み込みだけではなかった。

    企業は省エネルギー化(注11)を進め、生産の効率を高め、技術更新や輸出競争力によって新しい条件へ適応していった。高度成長期のような一直線の加速は続きにくくなったが、制約を織り込んだうえで、別の形の成長が現在の判断に入り込んでいった。

    つまり、ニクソンショック後の低速は、失速のまま定着した低速とは性格が違う。

    速度は落ちた。だが、その低下を前提にしながら、企業は新しい投資や生産の形を組み直していった。ここでは、低速がそのまま社会を縛ったというより、低くなった速度の中で、もう一度加速の形が織り込み直された(注G)と見ることができる。

    もう一つの低速の例が、失われた30年(注12)である。

    ここでは、低成長、低インフレ(注13)、弱い賃金上昇が長く続いたことで、企業も家計も「大きく伸びる将来」を強く見込みにくくなった。企業は投資や賃上げに慎重になり、家計は支出に慎重になる。金融市場や政策判断にも、強い成長より、弱い回転を前提にした見方が入り込みやすくなった。

    この低速は、速度が落ちた後に新しい加速へ組み直された局面とは違う。

    低い速度そのものが長く続き(注H)、その速度が企業や家計の判断に深く入り込んでいった。将来の需要を強く見込めないから投資に慎重になる。所得の伸びを強く見込めないから支出に慎重になる。その慎重さが、さらに低い速度を固定していく。

    織り込まれていなかったことが突然入り込んだ状態としては、バブル崩壊(注14)が分かりやすい。

    土地や株の価格には、将来も価値が上がり続けるという見通しが入っていた。その前提で資産価格がつき、借入が行われ、投資や消費の判断も組み立てられていた。その見通しが崩れると、価格は下がり、担保価値は弱まり、借入の重さが前に出てくる。

    バブル崩壊で起きたのは、資産価格の下落だけではなかった。

    それまで現在の判断に入っていた将来の姿が、一気に書き換えられた。上がり続けるはずだった価格が下がる。返せると思われていた借入が重くなる。前向きに見えていた投資が、過剰な負担として見え始める。織り込まれていなかった現実が突然入り込むと、価格も投資も借入も、同時に見直されることになる。

    こうして見ると、日本経済の局面は、「良いか悪いか」だけでは整理しにくい。

    加速が織り込まれていたのか。低くなった速度の中で、もう一度加速が織り込み直されたのか。低速そのものが深く織り込まれていったのか。織り込まれていなかったことが突然入り込んだのか。

    このように分けると、同じ成長率や物価や投資の動きも、違った意味を持って見えてくる。

    第五章 低速を織り込んだ社会は、何が難しいのか

    低速が長く続くことと、低速で回る社会になっていることは分けて見たい。

    成長率が落ちる局面では、社会は新しい速度を探している。低い速度そのものが長く続くと、その速度が企業の投資判断や家計の支出判断に入り込んでいく。

    ここに、第四章で低速の例を二つ置いた意味がある。

    ニクソンショック後から石油危機後のように、加速の前提が揺らぎながらも、新しい条件の中で別の加速を織り込み直す局面がある。一方で、失われた30年のように、低い速度そのものが長く続き、企業や家計の判断に深く入り込んでいく局面もある。どちらも速度の低下を含んでいるが、社会への入り込み方は同じではない。

    低速で回る社会では、企業は大きな需要を見込みにくくなる。

    需要を見込みにくければ、投資に慎重になる。投資が弱ければ、賃金も伸びにくくなる。家計は所得の伸びを見込みにくくなり、支出に慎重になる。その慎重さがさらに低速を固定していく。

    低速が織り込まれた社会では、ただ「もっと成長すればよい」と言うだけでは足りない。

    企業が将来の需要を見込めること。家計が所得の伸びを見込めること。投資や賃上げが、無理な賭けではなく、次の循環につながる判断として見えること。そうした見通しが少しずつ現在の判断に入っていくことで、社会は低速を前提にした状態から、加速を織り込める状態へ移りやすくなる。

    問題は、成長率という数字だけではなく、その数字の背後にある将来への見通しにある。

    低速を織り込んだ社会から、加速を織り込める社会へ移れるのか。この問いを立てると、問題は「どの数字を上げるか」だけではなくなる。企業が需要を見込めるか。家計が所得の伸びを見込めるか。投資や賃上げが、次の循環につながる判断として見えるか。そこに目が向く。

    低速から抜けるとは、数字だけを押し上げることではなく、企業や家計が次の動きを見込める状態をつくることでもある。

    おわりに

    「織り込み済み」とは、ニュースの便利な言い回しにとどまらない。期待が、現在の価格や投資や借入や支出の前提に入り込む仕組みを表す言葉である。

    何がすでに織り込まれているのか。何がまだ織り込まれていないのか。いま何が織り込み直されているのか。

    この三つを見ることで、経済の数字は少し違って見えてくる。

    将来を先に入れるから、資本主義は速く進む。将来が書き換わるから、資本主義は速く揺れる。

    「織り込み済み」とは、その速さと揺れの背後に、どんな未来が入っているのかを読むための言葉である。


    注釈一覧

    (注1)

    織り込み済み 好材料や悪材料が、すでに価格や判断に反映されている状態を指す。株価や為替のニュースでは、材料が出ても価格の反応が小さいときに使われやすい。

    (注2)

    現在の価格に入る 株価は「半年先の景気を映す」と言われることがある。これは厳密な法則ではなく、株価が現在の実績だけでなく、先の業績、需要、金利、リスクへの見通しを先取りして動くことを表す言い方である。

    (注3)

    投じた資金を回収できる 企業の投資判断では、設備や人材に使った資金を、将来の売上や利益で回収できるかが重視される。需要の見通しが弱いと、現在の利益があっても投資は慎重になりやすい。

    (注4)

    借入にも、織り込みは入っている 借入は、将来の返済能力を前提にして行われる。企業では売上や利益の見通し、家計では所得や雇用の安定性が、借入のしやすさや条件に関わる。

    (注5)

    資産価格も上がりやすくなります 資産価格は、将来の収益や価値が高まると見込まれると上がりやすい。金利、信用環境、投資家の心理、海外情勢なども同時に影響する。

    (注6)

    低い成長でも、それがすでに織り込まれているなら 見込んでいた成長の速度と、実際に現れた成長の速度が大きくずれていない場合、企業や家計はその前提に合わせて動きやすい。混乱が大きくなりやすいのは、予測していた姿と実際の結果が大きく外れたときである。

    (注7)

    担保価値 担保価値とは、借入の裏づけとして差し出された土地、建物、株式などの資産が持つ評価額を指す。評価額である以上、資産価格や信用環境の変化によって見直されることがある。

    (注8)

    高度成長期 一般に、日本の高度成長期は1950年代半ばから1973年の第一次石油危機までを指すことが多い。所得の上昇、設備投資の拡大、都市化、耐久消費財の普及が重なり、成長が社会の前提になりやすい時期だった。

    (注9)

    ニクソンショック 1971年、アメリカがドルと金の交換停止を発表し、戦後の固定為替相場制が大きく揺らいだ出来事を指す。日本ではその後、円高圧力や国際環境の変化が企業活動に影響した。

    (注10)

    石油危機 1973年の第一次石油危機では、原油価格の急上昇が企業の生産費や家計の生活費を押し上げた。資源価格の変化は、日本経済が高度成長期と同じ前提で動き続けることを難しくした。

    (注11)

    省エネルギー化 石油危機後、日本企業はエネルギー消費を抑える設備投資や生産方法の改善を進めた。これは、資源制約を受け入れたうえで、生産性や競争力を組み直す動きでもあった。

    (注12)

    失われた三十年 バブル崩壊後の日本で、低成長、低インフレ、賃金の伸び悩みが長く続いた時期を指す表現である。時期の区切りには幅があるが、1990年代以降の長期停滞をまとめて語る言葉として使われる。

    (注13)

    低インフレ 低インフレとは、物価上昇率が低い状態を指す。物価が安定しているように見える一方で、賃金、価格設定、投資判断が動きにくくなる場合もある。

    (注14)

    バブル崩壊 1980年代後半に上昇した土地や株式の価格は、1990年代初めに大きく下落した。資産価格の下落は、担保価値、企業財務、金融機関の貸出姿勢に広く影響した。

    (注A)

    織り込み済みの資本主義 本文の「織り込み」は、金融市場の価格形成だけでなく、企業の投資、家計の支出、借入判断まで含む広い意味で使っている。金融市場では、将来の利益、金利、景気、政策、リスクへの見通しが価格に先に入る。実体経済では、将来の需要、所得、返済能力への見通しが、投資、雇用、消費、借入の判断に入る。 この見方は、将来期待が投資を左右するケインズ、債務と物価下落の連鎖を扱うフィッシャー、金融構造が不安定性を内側から生む過程を扱うミンスキー、バブル崩壊後の債務圧縮を扱うリチャード・クーなど、複数の理論と接点を持つ。 各理論が対象とする条件や危機の深さには違いがある。本文はそれらを一つの学説としてまとめるのではなく、将来への見通しが現在の投資・支出・金融判断へ戻ってくる共通の構造に焦点を当てている。

    (注B)

    期待が、現在の判断に入るとき ケインズは、投資が単純な確率計算だけで決まるとは考えなかった。将来の需要や利益には計算しきれない不確実性があり、企業家の確信や心理も投資判断に入ると捉えた。見通しの変化が投資を動かし、投資の変化が所得と需要へ波及するという関係は、有効需要の理論を構成する重要な部分である。 本文の「期待」と「織り込み」の区別は、この点と関係している。頭の中にある将来像は期待にとどまる。その期待が価格、投資、借入、支出の前提に入り、実際の資金の動きを変え始めたとき、本文ではそれを「織り込み」と呼んでいる。

    (注C)

    企業の価値 企業価値や株価を考えるときには、将来生み出す利益や現金収入を、現在の価値に引き直す考え方が使われる。将来の利益が大きいと見込まれれば評価は高くなりやすく、金利やリスクが高く見積もられれば評価は低くなりやすい。 この考え方では、企業の現在の価値は、過去の実績だけで決まるものではない。将来どれだけ稼ぐか、その稼ぎをどれだけ確かに見込めるか、金利がどの水準にあるかが評価に入る。本文で述べた「現在の価格に将来への見通しが入る」という説明は、この資産価格の考え方を一般読者向けに簡略化したものである。

    (注D)

    将来に安心感があれば 家計の消費については、現在の所得だけでなく、長い期間の所得見通しを含めて支出を決めるという考え方がある。フリードマンの恒常所得仮説や、モディリアーニらのライフサイクル仮説は、家計が一時点の収入だけを見て消費するのではなく、将来の所得や人生全体の収支を含めて支出を調整すると考えた。 一方で、将来の雇用や所得への不安が強まると、家計は支出を控え、手元資金を厚くしようとしやすい。これは予備的貯蓄の論点と関係する。本文では、こうした家計行動を細かい理論に分けず、「将来への安心感」と「将来への不安」という形で整理している。

    (注E)

    織り込まれていた将来の書き換え アーヴィング・フィッシャーの負債デフレ論では、物価や資産価格が下がる一方で、契約された債務額が残るため、債務の実質的な負担が増える。債務者が資産売却や支出削減で返済を進めると、価格や所得がさらに下がり、債務負担がいっそう重く見える連鎖も扱われる。 本文の「織り込まれていた将来の書き換え」は、物価下落だけに限った話ではない。将来の利益、需要、資産価値、返済能力への見方が変わることで、価格、投資、借入、支出が同時に見直される局面を指している。フィッシャーの議論とは危機の条件が異なるが、将来像の修正が債務や支出に波及する点で接点を持つ。

    (注F)

    担保価値への見方も変わる 資産価格が下がると、企業や家計が差し出している担保の価値も下がる。担保価値が弱まると、借入の条件は厳しくなりやすく、企業の投資や家計の支出にも影響が出る。このように、資産価格の変化が信用条件を変え、その信用条件の変化が実体経済をさらに動かす関係は、「金融アクセラレーター」と呼ばれる。 金融アクセラレーターの議論では、景気の変化が企業の財務状態を変え、その財務状態が次の資金調達や投資を左右する双方向の関係が重視される。本文の「価格が下がれば、資金調達や担保価値への見方も変わる」という箇所は、この論点と接点を持つ。

    (注G)

    低くなった速度の中で、もう一度加速の形が織り込み直された 成長率が下がることと、停滞が固定されることは分けて考える必要がある。外部条件が変わって速度が落ちても、企業や社会が新しい制約に合わせて投資、生産、技術、輸出の形を組み直す場合、低下した速度の中で別の成長経路が作られることがある。 ニクソンショック後から石油危機後の日本では、固定相場や安い資源を前提にした高度成長期の条件が揺らいだ。その一方で、省エネルギー化、技術更新、生産性向上、輸出競争力の強化を通じて、新しい条件への適応が進んだ。 本文では、この過程を、低速そのものが社会を縛る局面とは分けている。速度は落ちたが、その低下の中で投資や生産の形を組み直せた局面として扱っている。

    (注H)

    低い速度そのものが長く続き リチャード・クーは、バブル崩壊後に企業が利益最大化より債務返済を優先する状態を「バランスシート不況」として整理した。資産価格が下がり、企業の財務が傷むと、低金利でも借入や投資は伸びにくくなり、企業は手元資金を返済や防衛に向けやすくなる。 本文の「低い速度そのものが長く続き」は、この議論と接点を持つ。ただし、本文では企業部門だけでなく、家計の所得見通しや支出判断も含めて見ている。企業が投資や賃上げに慎重になり、家計が支出に慎重になることで、低速そのものが社会の前提として入り込んでいく局面を扱っている。

    1.参考資料

    1. 加藤直也・川本卓司「企業収益と設備投資―企業はなぜ設備投資に慎重なのか?―」(2016年、日本銀行)

    URL:
    https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/rev_2016/rev16j04.htm

    1. 内閣府「令和7年度 年次経済財政報告 第2章第1節 個人消費の回復に向けて」(2025年、内閣府)

    URL:
    https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je25/h02-01.html

    1. 日本銀行「日本の『デフレーション』と政策対応」(2003年、日本銀行)

    URL:
    https://www2.boj.or.jp/archive/announcements/press/koen_2003/ko0304f.htm

    1. 経済企画庁「平成12年度年次経済報告 新しい世の中が始まる 第2章 持続的発展のための条件」(2000年、経済企画庁)

    URL:
    https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je00/wp-je00-0020j.html

    1. 内閣府「平成4年度 年次経済報告 第2章第6節 今次調整局面の特徴点と過去との比較」(1992年、内閣府)

    URL:
    https://www5.cao.go.jp/keizai3/keizaiwp/wp-je92/wp-je92-00206.html

    1. 資源エネルギー庁「平成29年度エネルギーに関する年次報告(エネルギー白書2018) 第1部第1章第4節 1970・80年頃~」(2018年、資源エネルギー庁)

    URL:
    https://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2018html/1-1-4.html

    1. 内閣府「平成14年度 年次経済財政報告 第1章第2節 デフレ下の企業・銀行・家計の行動」(2002年、内閣府)

    URL:
    https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je02/wp-je02-00102.html

    2.深掘りするための一般書

    1. ジョージ・A・アカロフ、ロバート・J・シラー『アニマルスピリット』

    URL:
    https://str.toyokeizai.net/books/9784492313985/

    1. リチャード・クー『バランスシート不況下の世界経済』

    URL:
    https://www.books.or.jp/book-details/9784198637224

    1. 小林慶一郎『日本の経済政策――「失われた30年」をいかに克服するか』

    URL:
    https://www.chuko.co.jp/shinsho/2024/01/102786.html

    1. 渡辺努『物価とは何か』

    URL:
    https://www.amazon.co.jp/dp/4065267145

  • 補論 赤字国債とは何か②

    四 政府の赤字は、どこへ移されるのか

    ー赤字国債がはめ込まれる受け皿を見るー

    三章では、赤字国債を、凸の突起を凹にはめ込んでならすための費用として見た。では、その凹は具体的にどこにあるのか。赤字国債によってならされた負担は、抽象的にどこかへ消えるわけではなく、経済や制度の中にある受け皿へ移される。

    この章では、その受け皿を大きく二つに分けて見る。一つは、市場・金融の受け皿である。もう一つは、財政・制度の受け皿である。市場・金融の受け皿は、国債を実際に保有し、消化し、金利や流動性の中で受け止める場所である。財政・制度の受け皿は、その国債を最終的に支える、国家の徴税能力や負担配分の仕組みである。

    一 市場・金融の受け皿

    「日本国債は国内で多く保有されているから大丈夫だ」「日本にはまだ貯蓄があり、金融機関も国債を持てる」「自国通貨建ての国債だから、外貨建て債務とは違う」「低金利が続いている限り、利払いも急には膨らまない」。赤字国債を肯定的に見る議論では、このような主張がよく出てくる。これらの主張が見ているのは、市場・金融の受け皿の余白がまだ残っているという点である。

    市場・金融の受け皿とは、国債を実際に保有し、金利や流動性の中で受け止める場所である。政府から見れば国債は負債であり、保有する側から見れば資産である。日本では、家計や企業の貯蓄が、銀行、保険会社、年金基金などを通じて国債へ向かってきた。金融機関にとって、国債は安全性が高く、流動性もある資産として扱われてきた。

    日銀も、国債を受け止める場所の一つである。日銀が国債を保有すれば、国債市場の圧力は和らぎ、金利も抑えやすくなる。さらに、低金利環境、国債市場の信認、円建てで発行できる条件も、市場・金融の受け皿を支えている。国債残高が大きくても、金利が低ければ利払い費は抑えられる。国債市場の信認が保たれていれば、政府は国債を発行し、借換えを続けやすい。円建てで発行できることは、外貨建て債務を抱える国とは違う安定条件になる。

    市場・金融の受け皿は、国内貯蓄、金融機関、日銀、低金利、国債市場の信認、円建てで発行できる条件が重なることで成り立ってきた。ただし、同じ市場・金融の受け皿にも、性格の違いがある。国内貯蓄、金融機関、日銀は、国債を実際に保有する受け皿である。一方、低金利や国債市場の信認、円建てで発行できる条件は、国債をどの条件なら持てるのかを左右する受け皿である。

    つまり、同じ「現在ある凹」でも、誰が持つのかという余白と、どの条件なら持てるのかという余白は分けて見る必要がある。国債を保有する主体の余力が減っているのか。それとも、金利や信認の変化によって、持てる条件が厳しくなっているのか。どちらの凹が小さくなっているのかによって、問題の出方は変わる。

    二 財政・制度の受け皿

    市場・金融の受け皿が、国債を保有し、金利や流動性の中で受け止める場所だとすれば、財政・制度の受け皿は、その国債を支える国家側の力である。国債が安全な資産として扱われる背景には、政府が将来も税を集められるという前提がある。所得税、法人税、消費税などを制度通りに集められる。経済活動を把握し、課税し、徴収できる。行政機構が機能し、制度が維持されている。この徴税能力は、国債を支える重要な条件である。

    さらに、必要になったときに税制を見直す力も、受け皿の一部になる。税率を変える。課税ベースを広げる。負担する層を組み替える。消費税、所得税、法人税、社会保険料などの分担を見直す。こうした制度を組み替える力が、政府の赤字を受け止める土台になる。

    財政・制度の受け皿にも、性格の違いがある。一つは、税を集める力である。所得税、法人税、消費税などを制度通りに集め、経済活動を把握し、課税し、徴収する力である。もう一つは、制度を組み替える力である。税率を変える。課税ベースを広げる。負担する層を組み替える。社会保険料を含めた分担を見直す。つまり、財政・制度の受け皿とは、税を集める力だけでなく、必要に応じて負担の形を組み替える力でもある。

    市場・金融の受け皿が「国債をどこが持てるか」の話だとすれば、財政・制度の受け皿は「国家が税を集め、必要に応じて制度を組み替える力」の話である。市場が国債を買う背景には、金融の余白だけでなく、国家が将来も税を集め、制度を組み替えられるという見込みがある。

    大きく分ければ、赤字国債の受け皿は二つに整理できる。一つは、市場・金融の受け皿である。もう一つは、財政・制度の受け皿である。赤字国債は、この二つの受け皿によって支えられている。


    五 日本は、これからも凹を作り続けられるのか

    ー赤字国債のあとに、何が生まれるのかー

    三章では、凹を「現在ある余白」として見た。四章では、その現在ある余白を二つに分類した。ここからは、赤字国債を発行し、凸を凹によってならしたあとに何が起きるのかを見る。赤字国債を発行したことで、新たな凸や凹はどのように生まれるのか。そして、それはなぜ起きるのか。この章では、その未来の分岐を見ていく。

    一 新しい凹が生まれる場合

    赤字国債によって凸をならしたあと、新しい凹が生まれることがある。ここでいう新しい凹とは、発行時点で存在していた現在の凹ではない。赤字国債によって凸をならしたあとに、所得、税収、民間投資、生産性、制度の安定として生まれる可能性のある受け皿である。

    景気を支えた結果、所得が戻る。企業収益が回復する。雇用が守られる。民間投資が戻る。税収が増える。産業や人材が育つ。制度改革によって支出構造が安定する。このような変化が起きれば、赤字国債は単なる先送りではなくなる。

    たとえば、景気悪化の局面で赤字国債を発行し、財政支出によって不況の深まりを防ぐ。その結果、企業倒産や失業が抑えられ、所得や消費が戻れば、税収も回復しやすくなる。成長投資でも同じである。技術、人材、産業、インフラ、エネルギー、供給網などへの支出が民間投資を呼び込み、生産性を高め、所得や企業収益につながれば、新しい凹が広がる。

    社会保障や制度維持でも、社会の基礎を急に崩さず、生活や地域経済の劣化を防ぐことで、家計や企業が次の動きを取りやすくなる場合がある。もちろん、すべてが自動的にそうなるわけではない。ただ、赤字国債には、現在の凸をならしながら、新しい凹を作る可能性がある。この場合、重要なのは発行額そのものではなく、その赤字国債によって何が守られ、何が育ち、どの受け皿が将来広がると見込めるのかである。

    二 楽観論は、過去の成功例を見ている

    赤字国債に比較的楽観的な見方は、単なる願望だけで成り立っているわけではない。過去には、政府の財政支出が景気や社会の損傷を抑え、その後の回復につながったように見える局面がある。

    第一次石油危機後の財政対応は、その一つである。一九七〇年代半ば、日本経済は高度成長から低成長への移行に直面した。物価上昇、企業収益の圧迫、投資の慎重化が重なり、政府はそれまでのような自然な税収増を前提にしにくくなった。この局面で赤字国債が発行され、政府は財政支出によって景気と社会を支えた。高度成長がそのまま戻ったわけではないが、低成長への移行を、いきなり社会の崩れに変えないための支えにはなった。

    リーマンショック後の対応も、同じように見ることができる。世界的な金融危機によって、輸出、企業収益、雇用は大きく傷んだ。政府は財政支出によって、景気の急激な落ち込みを和らげようとした。財政支出がすべてを解決したわけではないが、企業倒産や失業の広がりを抑え、景気の底割れを防ぐ役割は持っていた。

    近年の財政対応については、もう少し複雑である。物価高、感染症後の回復、供給網の再編、エネルギー不安、産業政策など、政府が支出を求められる局面は多かった。楽観論の側から見れば、むしろ問題は、支出の速度や規模、計画性が十分だったのかという点にある。必要なところに、必要な速度で、十分な量を投じていれば、より大きな新しい凹を作れたのではないか。こう見ると、赤字国債は単なる借金ではなく、現在の凸をならし、将来の受け皿を作るための費用にもなりうる。

    三 市場は、凹が減っていることに反応する

    赤字国債を発行すれば、国債には金利が発生する。この点は単純だが、重要である。国債を発行して凸をならしても、その国債には利払いがつく。何も大きな問題が起きなくても、時間が経てば利払いによって財政の余白は少しずつ使われていく。

    赤字国債は、凸をならすための費用である。その費用には、元本だけでなく、金利も含まれる。赤字国債を発行したあと、新しい凹が十分に広がらなければ、現在ある凹は金利によって少しずつ埋まっていく。さらに、景気が戻らない、税収が伸びない、成長投資が成果につながらない、社会保障や制度維持の支出が膨らみ続ける、日銀や低金利への依存が続く、といった悪い影響が起きれば、凹はより早く減っていく。

    市場は、その変化に反応する。財政の余白が減っている。将来の税収で吸収できるか怪しい。国債を安全な資産として持ち続けるには、より高い利回りが必要だ。そう見られれば、金利は上がりやすくなる。そして金利上昇は、新しい凸になる。利払い費が増える。財政の自由度が狭まる。必要な支出に回せる余地が減る。借換えの条件が厳しくなる。つまり、凹が減ったことに市場が反応し、その反応がまた新しい凸を生む。

    これは市場・金融の受け皿だけの話ではない。財政・制度の受け皿でも、同じようなことが起こりうる。政府が税制を見直す。負担の配分を組み替える。増税や社会保険料の引き上げを行う。歳出削減を進める。これらは財政・制度の受け皿を作るための手段であるが、家計や企業の負担を増やし、消費や投資を弱めることもある。制度を支えるための変更が、別の場所で新しい凸を生むこともある。

    四 慎重論は、悪影響が出る可能性を警戒している

    赤字国債に慎重な見方は、発行額そのものだけを見ているわけではなく、その国債発行によって悪影響が出る可能性を警戒している。慎重論が見ているのは、赤字国債によって現在の凸をならした後の展開である。支出が将来の成長や税収につながらなければ、国債は残る。利払い費が増えれば、財政の自由度は狭まる。金利が上がれば、借換えの条件は重くなる。円安やインフレが進めば、負担は生活費や企業コストとして現れる。増税や歳出削減が必要になれば、家計、企業、地域に痛みが出る。

    近年の財政対応についても、この見方からは別の評価が出てくる。支出の速度や量をもっと計画的に設計すれば、成長の受け皿を作れたという見方がある。しかし慎重論から見れば、赤字国債の積み上がりそのものが重しになり始めている。国債残高が大きくなるほど、金利上昇時の利払い費は重くなる。借換えの条件も厳しくなる。市場が財政運営への警戒を強めれば、国債を持つためにより高い利回りを求める。その結果、赤字国債でならしたはずの負担が、金利という新しい凸として戻ってくる。

    二〇二六年に入って長期金利が上昇していることは、この慎重論に重みを与えている。長期金利は、ざっくり言えば市場がつける成績表である。財政だけで決まる数字ではない。物価、日銀の金融政策、国債需給、海外金利、為替、投資家心理なども反映される。しかし、それらを含めて、市場が日本国債をどの条件なら持てるのかを示す数字でもある。

    二〇二六年五月十四日には、新発十年債利回りが二・六〇五%となり、一九九七年五月以来の水準を更新したと報じられている。ここで重要なのは、同じ一九九七年以来の水準でも、背後にある国債残高が大きく違うことである。平成九年度末には公債残高が二五四兆円に達する見込みとされていた。一方、令和八年度、つまり二〇二六年度予算の資料では、普通国債残高は一一四五・四兆円とされている。長期金利が同じ二%台後半でも、国債残高が大きければ、財政に返ってくる重さは違う。

    これは、国債の受け皿が無限ではないことを示している。赤字国債によってならした負担は、しばらくは静かに置かれているように見える。しかし、市場が「その受け皿は狭くなってきた」と見れば、金利という形で反応する。その意味で、長期金利の上昇は、慎重論が見ている「新しい凸」の入り口として読める。

    ただし、長期金利の上昇によって、楽観論が語る「規模とスピード」の議論が一気に否定されるわけではない。金利上昇は慎重論に重みを与える。しかし、それは赤字国債を発行した後に、どのような凸凹が生まれるのかという問いを強めるものである。この点は、次の節で改めて見る。

    五 問うべきなのは、発行後の凸凹をどう予測するかである

    ここまで見てくると、赤字国債をめぐる議論の中心は、発行した瞬間だけにはない。赤字国債によって、現在の凸はならされる。しかし、その費用には金利がつく。何も悪いことが起きなくても、金利という形で、現在ある凹は少しずつ埋まっていく。

    だから、まず見るべきなのは、現在どれだけ凹が残っているのかである。市場・金融の受け皿はどれくらい残っているのか。財政・制度の受け皿はどれくらい残っているのか。その受け皿は、成長のエンジンとして使える余白でもあるのか。それとも、すでに国債を受け止めるだけでかなり埋まっているのか。

    現在の凹は、ただの保管場所ではない。将来の成長を生むための余白でもある。国内貯蓄は、国債を買うためだけにあるわけではない。企業投資や民間の資金循環にも関わる。低金利は、利払いを抑えるだけではなく、投資や借換えをしやすくする条件でもある。国債市場の信認は、政府が赤字を抱えるためだけでなく、危機時に素早く支出できる余地でもある。財政・制度の受け皿も、税制を組み替え、負担配分を調整し、社会制度を維持するための力でもある。

    この現在の凹を使い切ってしまえば、新しい凹を作る力も弱くなる。一方で、現在の凸を放置しても、新しい凹は作りにくくなる。災害の被害が残る。不況が深くなる。雇用や企業が失われる。社会保障や行政サービスの質が落ちる。将来成長のための投資ができなくなる。このような凸が大きいまま残れば、社会や経済の土台そのものが傷む。

    つまり、見るべきなのは単純な発行額ではない。現在の凸は、どれくらい大きいのか。現在の凹は、どれくらい残っているのか。赤字国債によって、その凹はどれくらい使われるのか。金利という凸は、何も起きなくてもどれくらい凹を埋めていくのか。その間に、新しい凹を作れるのか。ここが分岐点になる。

    楽観論は、現在の凹を使ってでも、新しい凹を作れると見る。慎重論は、新しい凹が生まれる前に、現在の凹が削られ、新しい凸が生まれることを警戒する。どちらが正しいかを、最初から決める必要はない。重要なのは、その予測の精度である。

    赤字国債は、現在の凸をならすために使われる。しかし、そのために使う凹は、将来の成長の土台でもある。さらに、何も起きなくても、金利という凸がその凹を少しずつ埋めていく。だから赤字国債を見るとは、発行額を見ることだけではない。現在の凸の大きさ。現在の凹の残量。金利によって凹が埋まる速度。そして、その間に新しい凹を作れる見込み。このバランスをどう読むかである。

    赤字国債をめぐる楽観論と慎重論の違いは、ここにある。

  • 補論 赤字国債とは何か①

    —凸をならし、凹へ移す財政の見方ー

    一 赤字国債とは何か

    赤字国債とは、政府の歳出を税収などの通常の歳入だけでは賄えないとき、不足分を補うために発行される国債である。国債には、将来に残る社会資本の整備を目的とする建設国債と、税収などでは足りない財源を補うための赤字国債がある。日本では、赤字国債は特例公債と呼ばれることも多い。

    ただし、この補論で見たいのは、制度上の説明そのものではない。政府が赤字国債を発行するとき、そこには何らかの不足がある。税収が足りない。景気が悪い。社会保障費が増える。危機対応が必要になる。減税によって歳入が減る。将来の成長のために、先に支出する必要がある。これらは同じ「赤字国債」という言葉でまとめられるが、実際には性格が違う。

    同じ赤字国債でも、目的が違えば意味も変わる。当然のように発行される国債がある。仕方ないと受け止められやすい国債がある。一方で、発行の是非をめぐって議論が沸騰する国債もある。その違いを分けないまま語るために、赤字国債をめぐる議論は噛み合わなくなることがある。


    二 日本の赤字国債は、どのような場面で使われてきたのか

    この章では、日本の赤字国債を六つの類型に分ける。危機対応、景気悪化による税収不足、社会保障・制度維持、減税財源・政治的先送り、低成長への移行、成長投資である。これは、赤字国債を「なぜ発行されたか」で分ける分類である。

    どの類型にも、規模、対象、期間、出口、使途の検証という共通論点はある。ただし、何が重く問われるかは類型ごとに違う。ここでは、その違いを中心に見る。


    ① 危機対応

    危機対応の赤字国債とは、災害、金融危機、感染症のように、通常の税収や予算だけではすぐに対応できない事態が起きたとき、社会や経済の損傷を抑えるために発行される国債である。赤字国債の中では、比較的、発行の必要性について合意が得られやすい類型である。

    危機時には、平時の財政運営とは違う判断が求められる。大きな災害や感染症、金融危機が起きると、被災地の復旧、医療体制の維持、家計や企業の支援、雇用の維持、金融システムの安定など、通常の予算だけでは対応しにくい支出が一気に発生する。この支出を平時の財政規律だけで処理しようとすると、対応が遅れ、その遅れが被害の拡大や企業倒産、失業、生活不安につながることがある。

    日本では、東日本大震災後の復興財源、新型コロナウイルス感染症への対応、リーマンショック後の景気対策が、危機対応に近い例である。復旧・復興、医療体制、給付金、事業者支援、雇用維持などは、危機による損傷を小さくするための支出だった。

    この類型では、発行しなかった場合の損傷と比べて見る必要がある。災害時に復旧を遅らせれば、生活再建が遅れる。感染症危機で支援を行わなければ、倒産や失業が広がる。金融危機で政府が動かなければ、信用不安が実体経済に深く及ぶ。そのため、必要性そのものよりも、規模、対象、期限、出口が論点になる。危機対応型は理解されやすい一方で、もっとも拡張されやすい類型でもある。


    ② 景気悪化による税収不足

    景気悪化による税収不足とは、不況によって企業収益や所得が落ち込み、税収が伸びない、あるいは減少したときに、その不足分を補うために発行される赤字国債である。危機対応ほど劇的ではないが、比較的理解されやすい類型である。

    景気が悪くなると、税収は落ちやすくなる。企業の利益が減れば法人税収は弱くなり、賃金や雇用が伸びなければ所得税収も伸びにくくなる。消費が冷えれば消費税収にも影響が出る。一方で、不況のときほど、政府には景気の底割れを防ぐ役割が求められる。つまり、歳入は弱くなりやすいのに、歳出は増えやすい。この差を埋めるために、赤字国債が使われる。

    日本では、一九六五年度の歳入補填債、第一次石油危機後の一九七五年度の赤字国債、バブル崩壊後の一九九〇年代の財政出動が挙げられる。一九六五年度には、景気悪化によって税収が不足し、戦後日本で初めて本格的に歳入不足を補う国債が発行された。一九七五年度には、第一次石油危機後の景気後退を受け、赤字国債の発行が本格化した。一九九〇年代には、バブル崩壊後の税収低迷に対し、公共投資や減税を含む景気対策が繰り返された。

    この類型では、赤字国債による支えが、不況を一時的なものにとどめられるのかが分かれ目になる。不況時に歳出を急に削れば、景気をさらに冷やし、結果として税収も戻りにくくなる。支出が民間需要の回復につながれば、赤字国債は景気の底割れを防ぐ役割を持つ。支出が下支えにとどまれば、財政依存が長引く。したがって、見るべき点は発行そのものよりも、規模、使途、期間、出口である。


    ③ 社会保障・制度維持

    社会保障・制度維持のための赤字国債とは、年金、医療、介護、地方財政など、社会の基本的な制度を維持するための支出が税収だけでは賄いにくくなったとき、その不足分を補うために発行される赤字国債である。危機対応や景気悪化への対応と違い、継続的な支出を支える性格が強い。

    社会保障は、景気対策のように一時的に増やして終わる支出ではない。高齢化が進めば、年金、医療、介護にかかる費用は増えやすくなる。地方自治体が担う福祉、教育、防災、インフラ維持などの費用も簡単には削れない。こうした支出は、社会の安定を支えている。

    日本では、二〇〇〇年代以降の社会保障関係費の増加、地方交付税交付金等の財源、二〇一二年度・二〇一三年度の年金特例公債などが挙げられる。高齢化の進行により、年金、医療、介護の支出は毎年の制度運営に組み込まれていった。地方交付税交付金等も、全国で一定の行政サービスを維持するための財源である。年金特例公債は、基礎年金の国庫負担割合を二分の一にする財源として発行された例である。

    この類型では、支出の必要性と財源の問題を分けられるかが重要になる。社会保障を支える必要があることには合意が得られやすい。しかし、それを赤字国債で支え続けてよいのかは別の問題である。継続支出を国債で補えば、赤字国債は制度運営の前提になっていく。したがって、見るべき点は、社会保障を守るかどうかではなく、税、保険料、国債の負担配分をどう組み直すかである。


    ④ 減税財源・政治的先送り

    減税財源・政治的先送りのための赤字国債とは、減税によって歳入が減ったとき、その穴を補うために発行される赤字国債である。景気を支えるという点では、②の「景気悪化による税収不足」と似ている。しかし、こちらは景気悪化によって税収が落ちたのではなく、政策として税収を減らし、その不足分を国債で補う点に特徴がある。

    景気悪化による税収不足型では、景気悪化によって税収が落ちる。減税財源型では、政府が政策として税収を減らし、その穴を赤字国債で補う。つまり、こちらは「落ちた税収を補う」のではなく、「減らした税収を補う」性格を持つ。そのため、危機対応や景気悪化への対応よりも、社会的な合意は一段難しくなる。

    日本では、一九九〇年代の減税特例公債、バブル崩壊後の景気対策としての減税、消費税率引上げ前後の税制調整が挙げられる。一九九〇年代には、バブル崩壊後の景気低迷に対応するため、公共投資だけでなく減税も行われた。一九九四年度以降には、所得税・住民税などの減税による税収減を補うため、減税特例公債が発行された。消費税率を三%から五%へ引き上げる前後にも、先行減税などを含む税制上の調整が行われた。

    この類型の分かれ目は、減税が本当に景気回復につながるのか、そして税収減を国債で埋めることをどう見るかである。減税分が消費や投資に回れば、景気を押し上げ、歳入減の一部を埋めることもありうる。一方で、減税分が貯蓄や債務返済に回れば、景気刺激効果は限定的になる。減税は政治的に訴えやすいが、財源不足をどう埋めるのかが曖昧なままだと、負担配分を決めないまま問題を将来へ送ることになる。


    ⑤ 低成長への移行

    低成長への移行に伴う赤字国債とは、成長が税収を押し上げる力が弱まったあと、財政支出を維持するために発行される赤字国債である。危機対応や景気悪化による税収不足ほど原因が見えにくく、構造的な問題として現れやすい類型である。

    低成長への移行は、単なる一時的な不況とは違う。景気悪化による税収不足型では、景気の落ち込みを支え、回復までつなぐことが中心になる。一方、低成長への移行型では、成長率そのものが下がり、税収が自然に伸びる力も弱くなる。しかし、社会資本の維持、社会保障、地方財政、景気の下支え、既存の行政サービスはすぐには縮まらない。そのずれを埋めるために、赤字国債が使われる。

    日本では、第一次石油危機後の一九七五年度以降が重要である。一九七三年の第一次石油危機を経て、日本経済は高度成長から低成長へ移っていった。物価上昇、企業収益の圧迫、投資の慎重化、成長率の低下が重なり、政府はそれまでのような自然な税収増を前提にしにくくなった。一九七五年度の赤字国債発行は、景気後退への対応であると同時に、低成長への移行の中で財政運営の前提が変わったことを示していた。

    この類型の赤字国債は、その場しのぎに見えやすい。実際、その場しのぎの面を持つ。成長が弱まり、税収が伸びにくくなった分を、国債で埋めているからである。ただし、問題は赤字国債がその場しのぎかどうかだけではない。赤字国債で調達した財源が、何に使われたのかである。

    この類型では、赤字国債の使い道が重要になる。急な景気悪化や生活不安を防ぐ支出は、痛み止めになる。社会保障や地方財政を維持する支出は、社会の基礎体力を保つ。民間投資、生産性、人材、産業、将来の税収基盤につながる支出は、体力を戻す。痛み止めだけが続けば、国債依存は常態化しやすい。基礎体力を保つ支出には意味があるが、それだけで成長力が戻るとは限らない。体力を戻す支出が増えれば、赤字国債は次の余地を作る財源にもなりうる。

    この類型では、赤字国債が低成長の負のループを防げるのかも問われる。税収が伸びない、国債で補う、利払いが増える、財政の自由度が狭まる、必要な支出に回す余地が小さくなる、さらに税収が伸びにくくなる。この流れに入ると、赤字国債は低成長をやわらげる財源ではなく、低成長を固定する財源になっていく。だから、低成長への移行型では、発行額だけでなく、使い道の構成が分かれ目になる。


    ⑥ 成長投資

    成長投資のための赤字国債とは、将来の成長や税収増を見込んで、産業、人材、技術、インフラなどに先に支出するために発行される赤字国債である。赤字国債の中でも、もっとも前向きに語られやすい一方で、もっとも期待と現実の差が問われやすい類型である。

    成長投資型は、将来の経済の力を高めるために使われる。新しい産業を育てる。技術開発を支える。人材を育てる。インフラを整える。エネルギーや供給網を強くする。民間投資を呼び込む。こうした支出が将来の生産性、所得、企業収益、税収につながれば、赤字国債は単なる穴埋めではなく、将来の余地を作る財源になる。

    日本で成長投資型に近い例としては、戦後の社会資本整備、科学技術・研究開発への支出、近年のGX投資や半導体関連支援などが挙げられる。道路、港湾、鉄道、電力、通信などの社会資本整備は、企業活動や物流、都市形成を支える基盤になった。科学技術、教育、研究開発への支出も、人材や技術の蓄積を通じて長期的な成長力に関わる。近年では、GX、半導体、デジタル、エネルギー安全保障などへの支援も、成長投資として語られやすい。

    ただし、成長投資は名前だけでは判断できない。民間投資を呼び込めなければ、政府支出だけで終わる。生産性が上がらなければ、将来の税収基盤は強くならない。既存産業の延命に偏れば、低成長の構造を変える力は弱い。

    失敗の型もある。需要が弱い分野に資金を投じる。民間投資を呼び込むのではなく、民間の投資を置き換えるだけになる。退出すべき事業や企業の延命に使われる。補助金を受けること自体が目的化し、成果の検証が弱くなる。この場合、成長投資という名前でも、新しい凹は広がりにくい。

    また、成長投資には専門性があるため、表面的な横槍が必要な投資の足を引っ張ることもある。一方で、利権化、特定業界への偏り、用途外使用、効果検証の欠如への監視は必要である。成長投資型は、ただ疑って潰すのではなく、必要な投資と利権化した支出を分ける必要がある。


    ただし、この六類型は、現実の赤字国債を機械的に一つの箱へ入れるための分類ではない。実際の財政運営では、景気悪化への対応が長引いて低成長への移行と重なったり、減税財源が景気対策と一体になったりする。
    六類型は、赤字国債がどの性格を強く持つのかを見るための補助線である。重要なのは、赤字国債を一括りにするのではなく、危機対応なのか、税収不足なのか、制度維持なのか、政治的先送りなのか、低成長への移行なのか、成長投資なのかを見分けることである。


    三 赤字国債を見るための凸凹モデル

    —議論のすれ違いを整理するための補助線ー

    一 なぜ発行されたか、だけでは足りない

    前章では、日本の赤字国債を「なぜ発行されたか」で分類した。危機対応のための赤字国債。景気悪化による税収不足を補う赤字国債。社会保障や制度維持のための赤字国債。減税財源としての赤字国債。低成長への移行を支える赤字国債。成長投資のための赤字国債。この分類は重要である。危機対応の国債と、減税財源の国債では、社会的な受け止め方も、議論の割れ方も違う。景気悪化への対応と、低成長への移行でも、見るべき時間軸は違う。

    しかし、「なぜ発行されたか」だけでは、赤字国債の議論は整理しきれない。同じ赤字国債でも、その負担がどこで受け止められるのかによって意味は変わる。国内の貯蓄で受け止めるのか。金融機関や日銀のバランスシートで受け止めるのか。低金利や国債市場の信認で受け止めるのか。将来の税制変更や負担配分で受け止めるのか。つまり、赤字国債を見るには、二つの問いが必要になる。なぜ発行されたのか。そして、その負担はどこへ移されるのか。前章は、前者を整理した。ここからは、後者を見るための補助線を置く。

    二 凸凹で見てみる

    赤字国債を考えるために、ここでは一つの補助線として、凸と凹で見てみる。

    ここでいう凸とは、通常の財政や社会だけだと起きる不足や負荷である。災害による様々な被害。税収不足による行政サービスなどの不足。社会保障の質の低下。減税による歳入の穴。低成長で失われた財政の成長分。将来成長のために先に必要になる投資ができないこと。これらは、社会や財政のどこかに先に現れる「はみ出し」である。

    赤字国債は、この凸をならすための手段として使われる。ただし、ここでいう「ならす」とは、凸そのものを消すことではない。目の前のはみ出しを小さくすることである。一方、「移す」とは、その負担を別の受け皿に置くことである。赤字国債とは、目の前の凸をならし、その負担をどこかの凹へ移すための費用として見ることができる。

    三 凹とは何か

    凹とは、凸を受け止める余地である。ここでいう凹は、将来の期待そのものではなく、現在ある余白を指す。国内の貯蓄。金融機関の国債保有余力。日銀のバランスシート。低金利環境。国債市場の信認。円建てで発行できる条件。政府の徴税能力。赤字国債は、凸のはみ出した部分を、こうした凹にはめ込んでならすための費用として見ることができる。

    「将来成長するはずだ」「税収が増えるはずだ」「いずれ回収できるはずだ」という見込みは、この時点ではまだ凹ではない。現在存在する受け皿ではなく、凸を減らしたあとに新しい凹が生まれる可能性の話である。そのため、現在の凹と将来生まれるかもしれない凹は、分けて考える必要がある。

    四 凸の突起をならすという発想

    赤字国債は、多くの場合、凸の突起を小さくするために発行される。危機の被害を小さくする。景気の落ち込みを浅くする。社会保障や地方財政の急な劣化を防ぐ。減税によって家計や企業の負担を軽くする。低成長への移行による痛みをやわらげる。将来の成長に必要な投資を先に行う。凸の突起が小さくなれば、社会や経済は急激に傷みにくくなる。

    ただし、凸をならせばすべてうまくいくわけではない。どの凸をならしたのか。どの凹に移したのか。その凹は十分な受け皿だったのか。ここを見なければ、赤字国債の議論は噛み合わない。

    五 次章へ

    ここまで、赤字国債を、凸をならし、その負担を凹へ移すものとして見てきた。では、その凹は現実にはどこにあるのか。次章では、政府の赤字が経済のどこへ移されるのかを見ていく。