ー 日本経済の構造ー
Ⅰ.ここまでの話
第一話では、金融政策の変化を観察した。
第二話では、金利差縮小の中で資金の回転がどう鈍るかを見た。
第三話では、その摩擦が国債市場という制度と市場の交差点に集約
されることを確認した。
第四話では、成長と金利の関係こそが、日本経済の均衡条件であることを見た。
そこで残った問いは、一つである。
日本は、何によって成長を作るのか。
この問いに答えない限り
国債市場の安定も
金利と成長の均衡も
十分には説明できない。
詰まりを金融や市場だけの問題として扱う限り、話は途中で止まる。
最後に見なければならないのは、構造である。
Ⅱ.成長を決めるもの
経済成長を決める要素は、突き詰めれば多くない。
人口、資本、そして生産性である。
人口が増えれば、労働力も消費も増える。
投資が増えれば、生産能力は広がる。
生産性が上がれば、
同じ人数、同じ設備でも、より多くの付加価値を生み出せる。
しかし現在の日本では、この三つのうち、前二者に大きな期待を置きにくい。
人口は減少局面にあり、
投資も経済全体を押し上げるほどの勢いにはなりにくい。
残る中心は、生産性である。
ここで言う生産性とは、単に「一生懸命働くこと」ではない。
同じ時間
同じ人員
同じ資本から
どれだけ大きな価値を生み出せるかという、経済の基礎体力の問題である。
第四話で見たように、金利と成長の均衡を支えるには、名目成長が必要になる。 その名目成長を、物価上昇だけに頼るのか。
それとも経済の実力で支えるのか。
ここで問われるのが、生産性である。
Ⅲ.生産性は技術の問題ではなく、構造の問題である
生産性という言葉は、すぐにAIやロボットやDXの話に流れやすい。
もちろん技術は重要だ。
だが、日本の生産性問題を技術だけで説明するのは足りない。
本質は、構造にある。
どの産業に人と資本が集まっているのか。
企業の規模はどうなっているのか。
人は成長分野へ移れているのか。
古い仕組みが新しい投資を妨げていないか。
制度は変化を支える形になっているか。
生産性とは、技術そのものよりも、
技術や人や資本がどう配置されるかによって決まる。
つまり、生産性の問題は、構造の問題である。
ここを見誤ると、日本は「技術が足りない国」だという雑な話になる。
しかしそうではない。
技術がないのではなく、技術や資本や人材が、十分に動かないのである。
Ⅳ.日本の構造は、なぜ生産性を上げにくいのか
日本には、
生産性が上がりにくい産業や仕組みが、かなり大きな比重で存在している。
小売
飲食
介護
宿泊
農業
こうした分野には、それぞれ事情の違いはあるが、共通点もある。
労働集約的であること。
規模が小さくなりやすいこと。
価格競争にさらされやすいこと。
IT投資や自動化の回収が難しいこと。
そして地域や生活に密着しているため、
単純な淘汰の論理だけでは処理しにくいこと。
たとえば小売は、売上規模に比べて利益が薄い。
人手が必要で、価格競争が激しく、便利さを保つためにコストが積み上がる。
農業は、零細な経営が多く、機械化や集約化が進みにくい。
中小企業は、日本経済の土台である一方、
規模の小ささゆえに投資余力や人材確保に限界がある。
こうした産業や企業が悪いわけではない。
むしろ、地域を支え、生活を支え、雇用を支えてきた。
問題は、それらを含んだ全体の構造が、
成長のエンジンを作りにくい形になっていることだ。
成長分野に人と資本が集まりにくい。
低い付加価値のままでも存続しやすい。
新陳代謝が遅い。
結果として、日本経済全体の生産性は、ゆっくりとしか上がらない。
Ⅴ.安定の仕組みは、同時に変化の摩擦でもある
ここで、日本社会の特徴に触れなければならない。
日本は長い間、安定を重んじてきた。
雇用を守る。
地域を守る。
中小企業を守る。
農業を守る。
生活の基盤を大きく崩さない。
これは戦後の国家設計として、十分に合理的だった。
この仕組みのおかげで、
日本は低い失業率と高い治安、比較的安定した生活を維持してきた。
生活コストの見えない部分を、社会の安定がかなり吸収してきたと言っていい。 だから、安全優先そのものは間違いではない。
むしろ良いことである。
ただし問題は、安全と挑戦が分けて設計されていないことだ。
本来、社会の土台は安全であるべきだ。
病気や失業や老後の不安をすべて個人に投げる社会は、長くは持たない。
だが同時に、経済の成長には挑戦が必要である。
新しい企業が生まれ、古い仕組みが入れ替わり、人が動き、資本が動く。
この変化がなければ、生産性は上がらない。
問題は、安全を守ることと、変化を止めることが、
同じ意味で語られやすいことだ。
ここが日本では、うまく切り分けられていない。
Ⅵ.必要なのは、綱渡りをやめることではなく、ネットの張り方である
この問題は、単純な二択ではない。
危ないから綱渡りをやめるのか。
観客が喜ぶからそのままやるのか。
本当の問いはそこではない。
どんなネットを張るのか。
どうすれば大事故を防ぎながら、挑戦そのものは止めずに済むのか。
どうすれば安心を壊さずに、変化を許せるのか。
これは経済政策でも、ほとんど同じである。
失敗した企業や個人が、そこで人生ごと終わる社会では、人は挑戦しない。
だが逆に、どれだけ非効率でも守られ続ける社会では、新陳代謝は起きない。
必要なのは、綱渡りの禁止でも放置でもない。
挑戦を支える安全網の設計である。
失業しても再挑戦できること。
学び直しができること。
労働移動が生活破壊を意味しないこと。
事業が失敗しても、社会的な死にならないこと。
こうした仕組みがあって初めて、安全と変化は両立する。
生産性の問題は、技術投資だけでは解けない。
制度の問題であり、社会設計の問題であり、政治の問題である。
Ⅶ.詰まりの正体
ここまで見てくると、「詰まり」の意味ははっきりしてくる。
詰まりとは、
お金がなくなることではない。
国債が売れなくなることでもない。
市場が突然崩れることでもない。
詰まりとは、構造が変わらないことである。
人も、企業も、産業も、制度も、大きくは動かない。
だから急成長もしない。
だから急破綻もしない。
価格は付く。
資金もある。
制度も動いている。
だが回転数だけが上がらない。
これが、日本経済の特徴である。
日本経済は崩壊しないかもしれない。
しかし急成長もしないかもしれない。
その中間の状態を、私は「詰まり」と呼んできた。
それは金融の問題ではない。
市場の問題でもない。
財政の問題でもない。
その問いは最終的に、一つの場所に行き着く。
人である。
企業の収益は回復しつつある。
価格転嫁も始まった。
しかし成長の循環が本物になるかどうかは、
そこで働く人に、変化が届くかどうかにかかっている。
Ⅷ.金利が映しているもの
このシリーズは、第一話で金利から始まった。
なぜなら金利は、最も分かりやすく、
そして最も誤解されやすい数字だからである。
だが最後に見えてきたのは、金利そのものではなかった。
長期金利が映しているのは、単なる価格ではない。
中央銀行の一時的な判断でもない。
それは、将来の成長と不確実性に対する評価である。
成長できる国なのか。
構造を変えられる国なのか。
安全と挑戦を分けて設計できる国なのか。
その問いに対する市場の答えが、長期金利には乗る。
金利は未来の値段である。
第一話は金利から始まった。
しかし最後に見えてきたのは、社会の構造だった。
金利の話は、結局、人間の話に戻ってくる。
日本経済の問題は、
金融でも市場でも財政でもない。
構造の問題である。
そして構造を変えるのは、市場でも日銀でもなく、社会と政治の意思である。
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