― 明治維新と韓国併合と
GHQ占領政策をめぐって ―
Ⅰ この補論で見たいこと
本稿では、イランの歴史と現在を通じて、「どのような変化が起きるのか」とともに、「その変化を誰の手で始めるのか」という問題を見てきた。
この視点を日本近代へ移すと、同じ制度改革や近代化という言葉の中にも、異なる構造が見えてくる。
ここで取り上げるのは、明治維新、韓国併合、そして敗戦後のGHQ占領政策である。
三つはいずれも、社会の制度や国家のあり方が大きく組み替えられた時代だった。しかし、誰が変化を選び、誰がその痛みを引き受け、誰の言葉で新しい秩序を正当化したのかという点では、大きく異なっている。
ここで行うのは、どれが善でどれが悪かを裁定する作業よりも、その変化を誰が選び、誰の名において進めたのかという、制度の背後にある「主語」(注A)の位置を確かめる作業である。
同じ制度が導入されても、自ら選んだ変化と、外から与えられた変化では、その後に残る記憶も違ってくる。
制度そのものは時間とともに変わる。しかし、誰の手で変わったのかという感覚は、その制度より長く社会に残ることがある。
その違いを、三つの事例から見ていく。
Ⅱ 明治維新――外圧下における自己更新
幕末、日本の周辺では欧米列強の活動が急速に広がっていた。海の向こうの出来事だった国際秩序が、日本の沿岸と外交に直接入り込み、従来の統治や海防のままで国家の進路を保てるのかが問われるようになった。
この外圧は、日本社会に自らを組み替える必要を強く意識させる契機となった。外国の影響がさらに深まり、自分たちで進路を決められる余地が狭まる前に、自分たちの手で国家を組み替える。その意識が、幕末から維新へ向かう大きな流れを支えていた。
開国の過程では、不平等条約(注1)という新たな外部制約も生まれた。領事裁判権や関税をめぐる制約は明治に入っても続き、その改正は国家再編を進めるうえで長期的な課題となった。外圧を受けて始まった自己更新は、その過程で生まれた新しい制約も抱えながら進んでいった。
外国との貿易や資金の流れも広がっていった。だが、それらをどう扱うかを決めていたのは国内の側だった。外国との関係もまた、自分たちが国家をどう組み替えるかという目的に沿って使われ、調整されていた。何を採り、どのような国家をつくるのかを決める主語は、国内に置かれていた。
幕末の主要な政治勢力の多くは、何らかの形で日本を組み替える必要を認め、実際にその方向へ動いていた。そこで争われたのは、自己更新の内容と、その担い手である。幕府を軸に秩序を組み替えるのか、新しい政治体制をつくるのか。外国との関係をどのように築き、誰が国家を代表するのか。こうした違いが政治対立を深め、やがて内戦にまで至った。
この対立そのものが、次の秩序を誰が、どのような形で担うのかを日本社会の内部で争った過程でもあった。自己更新という大きな方向の中で、その内容と担い手をめぐる選択が行われていたのである。
維新後には、西洋由来の制度や技術が次々と導入された。軍制、教育、法制度、行政制度など、多くの仕組みが外国を参照しながら組み立てられていった。それらをどこまで採用し、どのように日本の国家制度へ組み込むのかを決めたのは、新しく成立した日本の政府だった。制度の由来が外にあったとしても、再編の主語そのものは日本側に置かれていた。
その違いは、制度変更に伴う負担の受け止め方にも表れる。身分秩序の再編、徴兵、税制の変更、生活習慣の変化は、人びとに大きな負担を求め、その変化によって失われたものも多かった。
負担への反発は生まれたが、それは自分たちの国家をどう運営するのかという内側の争いとして表に出た。不満はまず政府の政策や制度、その進め方へ向かい、外国との間に生じた問題は、国家が外交上の要求として外へ向けていく形を取った。
自己更新の痛みは、社会の内側に政治的な不満や対立を生みながら、その社会自身が国家の進路を選び直す過程の一部として引き受けられていった。
人は、自分で引き受けた痛みと、外から押しつけられた痛みを同じようには記憶しない。
明治維新は、外圧の中で変化を迫られながら、その変化の主語を自らの側に保った自己更新として捉えることができる。
Ⅲ 韓国併合――自己更新の場を奪う外的再編
同じ近代化という言葉でも、変化の主語が外へ移ると、その意味は大きく変わる。
朝鮮社会の内部にも、自らの手で国家のあり方を組み替えようとする動きは存在していた。同時に、何を変え、何を残し、外国とどう向き合うのかをめぐって、複数の方向が併存していた。自己更新を求める動き(注2)も、その中の一つとして存在していた。
その動きが社会全体を主導するところまで広がっていたかどうか以上に、ここでは、自己更新を求める動きが朝鮮社会の内部から生まれていたことが重要になる。自らの手で国のあり方を変えようとする人びとは、すでに存在していた。だからこそ、その後に国家の進路を決める場を失ったことは、自分たちで変わる可能性まで奪われた経験として記憶に残りやすくなる。
1905年に外交権を失い、1910年に併合(注3)へ至る過程で、朝鮮社会が自ら国家の進路を決める余地は段階的に狭められていった。日本による保護国化と併合は、朝鮮社会が内部で方向を選び、試し、次の秩序を形づくる自己更新の場そのものを奪っていった。
ここで重要になるのは、何が導入されたのかという制度の一覧よりも、誰が次の秩序を語ったのかという問題である。
統治制度が整えられ、社会の仕組みが変わっていくとしても、その方向を決める主語が外部に置かれれば、変化に伴う痛みの意味も変わる。制度への不満と、制度を持ち込んだ外部への反発が重なり、自分たちの社会を自分たちで決めるという要求そのものが政治的な意味を持つようになる。
国家として主語を行使する場を失った後も、自らの社会を自らの言葉で語ろうとする要求は残り続けた。1919年(注4)には、その要求が大規模な独立運動として現れた。併合によって場は奪われても、主語を取り戻そうとする要求は社会の中に残った。
この傷は数字では測れない。むしろ、こうした種類の傷の方が、制度の寿命より長く残る。
韓国併合をこの視点から見ると、近代化の成否や、個々の制度の評価とは別の輪郭が見えてくる。社会自身が次の秩序を選ぶ場を失い、外部の国家がその主語を引き受けた。
そこに残ったのは、主語を奪われた外的再編としての記憶である。
Ⅳ 敗戦とGHQ占領――一部を切り離す再出発
1945年、日本は敗戦によって、それまでの国家の前提を大きく失った。軍事的な敗北に加え、国土の破壊、海外領土の喪失、占領という現実が重なり、従来の国家像そのものが組み替えられた。
GHQによる占領(注5)のもとでは、憲法、軍事、教育、労働、農地など、広い領域で改革が進められた。制度再編の枠組みには、占領側の意思が強く反映されていた。
その中で、戦後日本の自己像を形づくるうえで大きな意味を持ったのが、戦前・戦中の日本から軍と戦争指導部を切り分ける整理だった。
この整理には、占領側が先に用意した枠が大きく作用した。占領政策と戦後処理は、責任の中心を軍と戦争指導部へ集め、そこを戦後の日本から切り分けて再出発する枠を形づくった。日本社会はその枠に乗り、それを自らの戦後の自己像へ取り込んでいった。
「軍が日本を誤らせた」(注B)という理解は、この過程の中で広く受け入れられた。
この整理によって、戦争へ進んだ国家と、敗戦後に再出発する日本との間に境界を置くことができた。軍を切り離された部分として置くことで、日本社会そのもの、日本文化そのもの、日本という共同体全体を戦前の国家とともに切断する必要は薄くなった。
外から用意された枠を内側へ取り込むことで、「軍を切り離しながら日本全体の連続性を保つ」という自己定義が成立していった。
ここには、明治維新とも韓国併合とも異なる変化の形がある。外部から大きな再編を受けながら、その再編の枠を使って、自らの連続性を組み直していく形である。
Ⅴ 外から入った価値が、内側の価値になるとき
占領期に導入された制度や価値の中には、その後、日本社会の内部で意味を変えながら定着していったものがある。
その一つが、戦後の平和主義(注C)である。
敗戦直後の制度設計には、占領側の意思が強く反映されていた。一方で、戦争と空襲、徴兵、家族の死、生活の破壊を経験した日本社会の側にも、再び同じ破局へ戻りたくないという感覚が広く存在していた。
占領期に制度として与えられた平和主義は、こうした社会の経験と重なることで、日本社会の内部でも受け入れられていった。
時間がたつにつれて、それは占領期に導入された制度という位置を越え、戦後を生きる価値として定着していく。次の世代にとっては、敗戦直後の占領政策そのものよりも、戦後日本のあり方を形づくる一つの前提として受け取られるようになった。
ここでは、変化の主語そのものが時間とともに移っている。
出発点では外部が大きな枠を作った。その後、日本社会がその枠を受け入れ、自らの経験と結びつけ、さらに自分たちの価値として引き受け直していった。
外から入った価値が、内側で意味づけ直され、その社会自身の価値へ変わっていく。
Ⅵ 破局の深さが自己定義の形を決めた
戦後日本が大きな再定義を必要とした背景には、従来の自己像そのものを組み替えるほどの破局の深さがあった。
戦争は国家の軍事力だけを傷つけたわけではない。都市は焼かれ、多くの人びとが命を失い、海外に広げた領域も失われた。それまで国家が語ってきた物語と、敗戦後に人びとが目にした現実との間には、大きな断絶が生まれた。
その状況で、戦前から続くすべてを同じ重さで引き受ければ、戦後の日本社会は自らの連続性まで問い直すことになる。
そこで、戦争へ進んだ責任を軍と戦争指導部へ集め、そこを切り離す枠が強い意味を持った。占領側が用意したその枠は、日本社会にとっても、敗戦の破局を受け止めながら自分たちの社会を再び始めるための説明として機能し、戦後の自己像はこの切り分けの上に作られていった。
同時に、その再出発を支えた制度の一部は占領期に作られ、その後も日本社会の内側へ残った。外部との関係を自己定義の内側に含む構造は、戦後日本の国家観や安全保障をめぐる議論にも続いている。
その象徴の一つが、憲法上の位置づけと現実の防衛力との間で議論が続いてきた自衛隊(注6)である。
敗戦という破局の深さは、外的再編を受け入れる条件を生み、その枠を内側へ取り込みながら再出発する戦後日本の自己定義を形づくった。
その始まり方そのものが、現代まで続く自己定義の枠組みを作ったのである。
Ⅶ 三つの変化が残した「感覚の遺産」(注D)
ここまでの三つの事例には、それぞれ異なる変化の主語があった。
明治維新では、外圧が強まる中でも、何を変え、誰が国家を組み替えるのかを争う場が国内に残った。制度の多くを外国から学びながら、その選択を自らの国家再編として引き受けた。
韓国併合では、朝鮮社会の内部に自己更新を求める動きが存在する中で、自ら国家の進路を決める場が段階的に失われた。変化の主語が外部へ移り、自らの未来を決める場を奪われたという感覚が残った。
敗戦後の日本では、占領側が大きな再編の枠を用意し、日本社会がその枠に乗りながら、一部を切り離すことで全体の連続性を保った。さらに、外から入った制度や価値の一部を、時間をかけて自らの価値として取り込み直していった。
この違いは、制度史だけを見ていると捉えにくい。
残るのは、制度そのものとともに、その制度をどのような経験として受け取ったのかという感覚である。
自分たちで変えたという感覚。
自分たちで変える場を奪われたという感覚。
外から変えられながら、その変化を自分たちのものとして引き受け直したという感覚。
こうした感覚の遺産は、制度が変わった後にも残り、その後の社会が外国からの圧力や制度変更をどう受け止めるのかにも影響する。
歴史の記憶は、出来事を保存するだけでは終わらない。
その社会が次の変化に直面したとき、「これは自分たちの選択なのか」「また外から決められるのか」という感覚として現れる。
Ⅷ この補論がイランの考察へ戻っていく場所
ここで、話は再びイランに戻る。
日本近代の三つの事例から見えてくるのは、外圧の強さとともに、その社会が次の秩序を語る主語をどこに置いたかという違いである。
イランでも、外圧が体制を大きく揺さぶるほど、その先の秩序を誰の言葉で形づくるのかが重要になる。制度の空白が生まれた後、その未来を誰が語り、誰が痛みを引き受け、誰が社会の選択として認めるのか。
その主語が社会の内側に残るとき、変化は自己更新として引き受けられる余地を持つ。外部がその場まで握れば、変化は外的再編として経験されやすくなる。
そして、外部から始まった変化であっても、その後に社会自身が意味づけ直し、自らの価値として引き受けていく場合もある。
Ⅸ 結語―変化の中身ではなく、変化の主語が歴史の質を決める
社会は、外部との接触を避けて存在することはできない。
外国から制度を学ぶこともある。外圧によって改革を急ぐこともある。敗北や占領によって、自らの制度を大きく組み替えられることもある。
そのとき重要になるのが、変化の主語である。
明治維新では、外圧の中で自己更新を選び、その内容と担い手を国内で争った。
韓国併合では、朝鮮社会が自ら進路を選ぶ場そのものが外部の力によって奪われた。
敗戦後の日本では、外部が用意した再編の枠に乗り、一部を切り離すことで全体を保ち、その枠の一部を自らの価値として引き受け直していった。
三つの事例で導入された制度の中には、外から来たものが数多くある。
しかし、その制度を誰が選び、誰が痛みを引き受け、誰の言葉で次の秩序として語ったのかによって、社会に残る記憶は変わった。
変化の中身だけを見れば、近代化、制度改革、民主化、占領政策という言葉で整理できる。
そこに主語を置くと、別の歴史が見えてくる。
どの社会が、自らの未来を自らの言葉で語る主語でいられたのか。
どの社会が、その場を奪われたのか。
そして、外から与えられた変化を、どの社会が後から自らのものとして引き受け直したのか。
変化の中身とともに、変化の主語を見る。
そこに、同じ制度変更が自己更新にも外的再編にもなりうる分岐がある。
注釈一覧
(注1)
不平等条約 幕末に結ばれた通商条約では、外国人の裁判を領事に委ねる領事裁判権や、日本側が関税率を自由に決めにくい仕組みが置かれた。領事裁判権の撤廃と関税自主権の回復は、その後の明治外交における長期的な課題となった。
(注2)
自己更新を求める動き 19世紀末から20世紀初頭の朝鮮では、甲午改革、独立協会、大韓帝国期の光武改革など、国家制度や対外関係を組み替えようとする複数の動きが現れた。担い手や目指す方向は異なり、複数の改革構想が並行し、競合していた。
(注3)
1905年に外交権を失い、1910年に併合 1905年の第二次日韓協約によって韓国の外交権は日本の管理下に置かれ、統監府が設置された。その後、日本の関与は内政にも広がり、1910年の日韓併合条約によって韓国は日本の統治下に入った。
(注4)
1919年 1919年3月1日に始まった三・一独立運動では、独立宣言を契機として各地に独立を求める運動が広がった。日本統治下の朝鮮社会で、独立要求が大規模に表面化した出来事の一つである。
(注5)
GHQによる占領 GHQは、連合国軍最高司令官総司令部を指す。1945年から1952年までの占領期、日本政府を通じた間接統治を基本としながら、政治・社会制度の広い範囲に改革を求めた。
(注6)
自衛隊 自衛隊は1954年に発足した。政府は、憲法9条の下でも自衛のための必要最小限度の実力を保持できるという解釈を取ってきたが、その範囲や憲法との関係をめぐる議論は長く続いている。
(注A)
主語 ここでいう「主語」は、社会の変化について誰が選択し、誰が正当化し、誰がその結果を引き受けるのかという、行為主体の位置を指している。政治思想における自己決定や、社会科学で用いられるエージェンシー(行為主体性)と接点を持つが、本稿では特定の理論をそのまま当てはめるためではなく、異なる歴史的変化を比較するための視点として用いている。
(注B)
「軍が日本を誤らせた」 占領期の戦争責任処理では、戦争指導者の訴追、公職追放、軍の解体や戦時統制の見直しなどが進められ、戦前の戦争指導と戦後日本を切り分ける枠組みが形成された。この枠組みは、軍や戦争指導部を戦争への主要な責任主体として捉える戦後の自己理解とも結びついた。戦争責任をめぐる歴史研究では、責任をどの範囲まで捉えるのかという問題とともに、政府、官僚、経済界、メディア、社会の動員なども含め、より広い範囲の主体が検討されている。
(注C)
平和主義 戦後日本の平和主義をめぐっては、憲法9条をはじめとする占領期の制度設計と、戦争体験やその後の反戦・反核運動を通じて日本社会の内部に定着していった価値の双方が論じられてきた。本稿の「外から入った価値が、内側の価値になる」という見方は、制度の起点と、その後の社会的な受容を時間の流れの中で分けて見る点で、この議論と接点を持っている。
(注D)
感覚の遺産 社会が過去をどのように記憶するかについては、モーリス・アルヴァックスの集合的記憶論以降、記憶が個人の内面だけで完結せず、家族、共同体、教育、儀礼、制度などを通じて形づくられることが論じられてきた。本稿の「感覚の遺産」は、過去の出来事がどのような経験として受け継がれ、その後の社会が新しい変化を受け止める際の前提となるのかを見る点で、この議論と接点を持つ。
1.参考資料
- 外務省外交史料館「外交史料館 明治150年記念展示 条約書にみる明治の日本外交」(2018年、外務省)
URL:https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/da/page25_001357.html
- 国立公文書館「明治38年(1905)11月|第2次日韓協約が結ばれる:日本のあゆみ」(1905年、国立公文書館)
URL:https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m38_1905_03.html
- 国立公文書館「明治43年(1910)8月|韓国併合条約が結ばれる:日本のあゆみ」(1910年、国立公文書館)
URL:https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m43_1910_01.html
- アジア歴史資料センター「「三・一運動」と朝鮮総督府」(2021年、『アジ歴ニューズレター第33号』)
URL:https://www.jacar.go.jp/newsletter/newsletter_033j/newsletter_today_033j.html
- 国立国会図書館「Records of General Headquarters Supreme Commander for the Allied Powers, GHQ/SCAP」(2022年、国立国会図書館リサーチ・ナビ)
URL:https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/occupation/GHQ
- 国立国会図書館「GHQ草案 1946年2月13日|日本国憲法の誕生」(1946年、国立国会図書館)
URL:https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076shoshi.html
- 防衛省「令和7年版防衛白書|2 憲法第9条の趣旨についての政府見解」(2025年、防衛省)
URL:https://www.mod.go.jp/j/press/wp/wp2025/html/n210202000.html
- 古波藏香「生成され続ける集合的記憶―M. アルヴァックスの“collectif”概念に着目して―」(2023年、『教育学研究』90巻4号)
URL:https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyoiku/90/4/90_563/_article/-char/ja
2.深掘りするための一般書
- 井上勝生『幕末・維新』
URL:https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784004310426
- 趙景達『近代朝鮮と日本』
URL:https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784004313977
- 雨宮昭一『占領と改革』
URL:https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784004310488
- 成田龍一『増補 「戦争経験」の戦後史 語られた体験/証言/記憶』