イランのニュースは、どうしても分かりにくく見えます。
宗教、独裁、デモ、アメリカ、イスラエル。
強い言葉がいくつも並ぶので、
つい「宗教か世俗か」「親米か反米か」
といった分かりやすい対立で見たくなります。
でも、イランの深いところで起きていることは、
そうした整理だけでは少し足りないように思います。
私はここで、人文科学的視点※1にかなり重要な論点があると思っています。
イランの問題は、
単に宗教や政治の話ではなく、
自分たちの社会の形を、
自分たちの手で決められるのか
という問いにつながっているのではないか。
この記事では、その点を考えてみます。
※1:人文科学とは、
歴史・哲学・文学・宗教・芸術などを通して、
人が何を信じ、何を大切にし、
社会をどう意味づけてきたかを考える学問です。
ニュースや一般的な論評が「何が起きたか」「誰が得をするか」
を主に見るのに対し、
人文科学的視点は、その社会の人々が何を守ろうとし、
何を失ったと感じているのかを見る視点でもあります。
1979年のイラン革命も、
ただ「西洋が嫌だった」と見ると少し違う気がします。
本当に拒まれたのは、西洋そのものというより、
外の論理で社会の形を変えられることだったのではないかと思うのです。
つまり、問題は変化そのものではありません。
問題は、その変化が自分たちの手ではなく、上から与えられたことにあった。
この意味で、
イラン革命は単純な昔への逆戻りではないし、
ただ宗教を強くしたかっただけでもない。
そこには、自分たちの歴史や価値観の中で、次の社会の形を自分たちで選びたい、という強い気持ちがあったのだと思います。
そしてこの構図は、今のイランにもつながっているように見えます。
今の抗議や不満も、単純に「宗教が嫌だ」という話ではないはずです。
たぶん多くの人が嫌がっているのは、信仰そのものより、国家が「これが正しい」と決めた形を上から押しつけてくることです。
本来、シーア派はもっと生活の中に自然に溶け込んでいたものではないかと思います。
それは単なるルールや命令ではなく、家族や儀礼や悲しみや共同体の記憶とつながった、生きた文化の一部だったはずです。
この感覚は、日本人にも少し分かりやすいかもしれません。
日本でも神社や祭りや年中行事は、厳密な教義としてというより、
生活の一部として存在している面が強いからです。
イランのシーア派にも、それに近いところがあったのではないか。
だからこそ、それが国家によって「正しい形」として固定され、
管理の道具になったとき、人々はただ政治に縛られる以上の息苦しさを感じる。
それは、自分たちの生活そのものを奪われるような感覚につながるのだと思います。
この見方でいくと、
イランの問題は「西洋化するか、しないか」という話だけでは捉えられません。
問われているのは、外と関わりながらも、自分たちの文明や歴史の流れを保ったまま、次の秩序を誰の手で選び直すのか、ということです。
デモや革命の核心も、たぶんそこにあります。
人は最初から、自分が何に怒っているのかをきれいに言葉にできるわけではありません。 まず先に来るのは、息苦しさや屈辱や違和感です。
そして後から、「あれはこういうことだったのか」と意味が見えてくる。
表には、
経済への不満や汚職への怒り、
女性の権利、
宗教の強制への反発
など、いろいろな言葉が出てきます。
でも、その底に流れているのは、もっと深い感覚ではないかと思います。
それは、これ以上、自分たちの生き方を他者に決められたくないという感覚です。
特にイランやシーア派でこの感覚が強く見えるのは、
そこに長い歴史があり、
少数派としての記憶があり、
外の世界と深く関わってきた経験があるからでしょう。
外と向き合ってきた社会ほど、
「自分たちは何者か」という問いを強く持つようになる。
だから、未来の中身だけでなく、
その未来を誰の手で始めるのかにも敏感になるのだと思います。
この視点に立つと、外部の力が前に出すぎることの危うさも見えてきます。
たとえ今の体制が揺らぎ、新しい秩序への移行が始まるとしても、それが外から与えられた未来に見えてしまえば、同じ拒絶がまた立ち上がるかもしれません。
外から圧力をかけることはできても、正統性まで外から作ることはできない。
その社会の正統性は、その社会の内側で、その社会自身の言葉によって選び取られなければならないからです。
この意味で、イランが問うているのは、ただの制度の問題ではありません。
この社会は、次の時代を誰の手で始めるのか。
たぶん、本当に大事なのはこの問いなのだと思います。