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  • 補論 赤字国債とは何か①

    —凸をならし、凹へ移す財政の見方ー

    一 赤字国債とは何か

    赤字国債とは、政府の歳出を税収などの通常の歳入だけでは賄えないとき、不足分を補うために発行される国債である。国債には、将来に残る社会資本の整備を目的とする建設国債と、税収などでは足りない財源を補うための赤字国債がある。日本では、赤字国債は特例公債と呼ばれることも多い。

    ただし、この補論で見たいのは、制度上の説明そのものではない。政府が赤字国債を発行するとき、そこには何らかの不足がある。税収が足りない。景気が悪い。社会保障費が増える。危機対応が必要になる。減税によって歳入が減る。将来の成長のために、先に支出する必要がある。これらは同じ「赤字国債」という言葉でまとめられるが、実際には性格が違う。

    同じ赤字国債でも、目的が違えば意味も変わる。当然のように発行される国債がある。仕方ないと受け止められやすい国債がある。一方で、発行の是非をめぐって議論が沸騰する国債もある。その違いを分けないまま語るために、赤字国債をめぐる議論は噛み合わなくなることがある。


    二 日本の赤字国債は、どのような場面で使われてきたのか

    この章では、日本の赤字国債を六つの類型に分ける。危機対応、景気悪化による税収不足、社会保障・制度維持、減税財源・政治的先送り、低成長への移行、成長投資である。これは、赤字国債を「なぜ発行されたか」で分ける分類である。

    どの類型にも、規模、対象、期間、出口、使途の検証という共通論点はある。ただし、何が重く問われるかは類型ごとに違う。ここでは、その違いを中心に見る。


    ① 危機対応

    危機対応の赤字国債とは、災害、金融危機、感染症のように、通常の税収や予算だけではすぐに対応できない事態が起きたとき、社会や経済の損傷を抑えるために発行される国債である。赤字国債の中では、比較的、発行の必要性について合意が得られやすい類型である。

    危機時には、平時の財政運営とは違う判断が求められる。大きな災害や感染症、金融危機が起きると、被災地の復旧、医療体制の維持、家計や企業の支援、雇用の維持、金融システムの安定など、通常の予算だけでは対応しにくい支出が一気に発生する。この支出を平時の財政規律だけで処理しようとすると、対応が遅れ、その遅れが被害の拡大や企業倒産、失業、生活不安につながることがある。

    日本では、東日本大震災後の復興財源、新型コロナウイルス感染症への対応、リーマンショック後の景気対策が、危機対応に近い例である。復旧・復興、医療体制、給付金、事業者支援、雇用維持などは、危機による損傷を小さくするための支出だった。

    この類型では、発行しなかった場合の損傷と比べて見る必要がある。災害時に復旧を遅らせれば、生活再建が遅れる。感染症危機で支援を行わなければ、倒産や失業が広がる。金融危機で政府が動かなければ、信用不安が実体経済に深く及ぶ。そのため、必要性そのものよりも、規模、対象、期限、出口が論点になる。危機対応型は理解されやすい一方で、もっとも拡張されやすい類型でもある。


    ② 景気悪化による税収不足

    景気悪化による税収不足とは、不況によって企業収益や所得が落ち込み、税収が伸びない、あるいは減少したときに、その不足分を補うために発行される赤字国債である。危機対応ほど劇的ではないが、比較的理解されやすい類型である。

    景気が悪くなると、税収は落ちやすくなる。企業の利益が減れば法人税収は弱くなり、賃金や雇用が伸びなければ所得税収も伸びにくくなる。消費が冷えれば消費税収にも影響が出る。一方で、不況のときほど、政府には景気の底割れを防ぐ役割が求められる。つまり、歳入は弱くなりやすいのに、歳出は増えやすい。この差を埋めるために、赤字国債が使われる。

    日本では、一九六五年度の歳入補填債、第一次石油危機後の一九七五年度の赤字国債、バブル崩壊後の一九九〇年代の財政出動が挙げられる。一九六五年度には、景気悪化によって税収が不足し、戦後日本で初めて本格的に歳入不足を補う国債が発行された。一九七五年度には、第一次石油危機後の景気後退を受け、赤字国債の発行が本格化した。一九九〇年代には、バブル崩壊後の税収低迷に対し、公共投資や減税を含む景気対策が繰り返された。

    この類型では、赤字国債による支えが、不況を一時的なものにとどめられるのかが分かれ目になる。不況時に歳出を急に削れば、景気をさらに冷やし、結果として税収も戻りにくくなる。支出が民間需要の回復につながれば、赤字国債は景気の底割れを防ぐ役割を持つ。支出が下支えにとどまれば、財政依存が長引く。したがって、見るべき点は発行そのものよりも、規模、使途、期間、出口である。


    ③ 社会保障・制度維持

    社会保障・制度維持のための赤字国債とは、年金、医療、介護、地方財政など、社会の基本的な制度を維持するための支出が税収だけでは賄いにくくなったとき、その不足分を補うために発行される赤字国債である。危機対応や景気悪化への対応と違い、継続的な支出を支える性格が強い。

    社会保障は、景気対策のように一時的に増やして終わる支出ではない。高齢化が進めば、年金、医療、介護にかかる費用は増えやすくなる。地方自治体が担う福祉、教育、防災、インフラ維持などの費用も簡単には削れない。こうした支出は、社会の安定を支えている。

    日本では、二〇〇〇年代以降の社会保障関係費の増加、地方交付税交付金等の財源、二〇一二年度・二〇一三年度の年金特例公債などが挙げられる。高齢化の進行により、年金、医療、介護の支出は毎年の制度運営に組み込まれていった。地方交付税交付金等も、全国で一定の行政サービスを維持するための財源である。年金特例公債は、基礎年金の国庫負担割合を二分の一にする財源として発行された例である。

    この類型では、支出の必要性と財源の問題を分けられるかが重要になる。社会保障を支える必要があることには合意が得られやすい。しかし、それを赤字国債で支え続けてよいのかは別の問題である。継続支出を国債で補えば、赤字国債は制度運営の前提になっていく。したがって、見るべき点は、社会保障を守るかどうかではなく、税、保険料、国債の負担配分をどう組み直すかである。


    ④ 減税財源・政治的先送り

    減税財源・政治的先送りのための赤字国債とは、減税によって歳入が減ったとき、その穴を補うために発行される赤字国債である。景気を支えるという点では、②の「景気悪化による税収不足」と似ている。しかし、こちらは景気悪化によって税収が落ちたのではなく、政策として税収を減らし、その不足分を国債で補う点に特徴がある。

    景気悪化による税収不足型では、景気悪化によって税収が落ちる。減税財源型では、政府が政策として税収を減らし、その穴を赤字国債で補う。つまり、こちらは「落ちた税収を補う」のではなく、「減らした税収を補う」性格を持つ。そのため、危機対応や景気悪化への対応よりも、社会的な合意は一段難しくなる。

    日本では、一九九〇年代の減税特例公債、バブル崩壊後の景気対策としての減税、消費税率引上げ前後の税制調整が挙げられる。一九九〇年代には、バブル崩壊後の景気低迷に対応するため、公共投資だけでなく減税も行われた。一九九四年度以降には、所得税・住民税などの減税による税収減を補うため、減税特例公債が発行された。消費税率を三%から五%へ引き上げる前後にも、先行減税などを含む税制上の調整が行われた。

    この類型の分かれ目は、減税が本当に景気回復につながるのか、そして税収減を国債で埋めることをどう見るかである。減税分が消費や投資に回れば、景気を押し上げ、歳入減の一部を埋めることもありうる。一方で、減税分が貯蓄や債務返済に回れば、景気刺激効果は限定的になる。減税は政治的に訴えやすいが、財源不足をどう埋めるのかが曖昧なままだと、負担配分を決めないまま問題を将来へ送ることになる。


    ⑤ 低成長への移行

    低成長への移行に伴う赤字国債とは、成長が税収を押し上げる力が弱まったあと、財政支出を維持するために発行される赤字国債である。危機対応や景気悪化による税収不足ほど原因が見えにくく、構造的な問題として現れやすい類型である。

    低成長への移行は、単なる一時的な不況とは違う。景気悪化による税収不足型では、景気の落ち込みを支え、回復までつなぐことが中心になる。一方、低成長への移行型では、成長率そのものが下がり、税収が自然に伸びる力も弱くなる。しかし、社会資本の維持、社会保障、地方財政、景気の下支え、既存の行政サービスはすぐには縮まらない。そのずれを埋めるために、赤字国債が使われる。

    日本では、第一次石油危機後の一九七五年度以降が重要である。一九七三年の第一次石油危機を経て、日本経済は高度成長から低成長へ移っていった。物価上昇、企業収益の圧迫、投資の慎重化、成長率の低下が重なり、政府はそれまでのような自然な税収増を前提にしにくくなった。一九七五年度の赤字国債発行は、景気後退への対応であると同時に、低成長への移行の中で財政運営の前提が変わったことを示していた。

    この類型の赤字国債は、その場しのぎに見えやすい。実際、その場しのぎの面を持つ。成長が弱まり、税収が伸びにくくなった分を、国債で埋めているからである。ただし、問題は赤字国債がその場しのぎかどうかだけではない。赤字国債で調達した財源が、何に使われたのかである。

    この類型では、赤字国債の使い道が重要になる。急な景気悪化や生活不安を防ぐ支出は、痛み止めになる。社会保障や地方財政を維持する支出は、社会の基礎体力を保つ。民間投資、生産性、人材、産業、将来の税収基盤につながる支出は、体力を戻す。痛み止めだけが続けば、国債依存は常態化しやすい。基礎体力を保つ支出には意味があるが、それだけで成長力が戻るとは限らない。体力を戻す支出が増えれば、赤字国債は次の余地を作る財源にもなりうる。

    この類型では、赤字国債が低成長の負のループを防げるのかも問われる。税収が伸びない、国債で補う、利払いが増える、財政の自由度が狭まる、必要な支出に回す余地が小さくなる、さらに税収が伸びにくくなる。この流れに入ると、赤字国債は低成長をやわらげる財源ではなく、低成長を固定する財源になっていく。だから、低成長への移行型では、発行額だけでなく、使い道の構成が分かれ目になる。


    ⑥ 成長投資

    成長投資のための赤字国債とは、将来の成長や税収増を見込んで、産業、人材、技術、インフラなどに先に支出するために発行される赤字国債である。赤字国債の中でも、もっとも前向きに語られやすい一方で、もっとも期待と現実の差が問われやすい類型である。

    成長投資型は、将来の経済の力を高めるために使われる。新しい産業を育てる。技術開発を支える。人材を育てる。インフラを整える。エネルギーや供給網を強くする。民間投資を呼び込む。こうした支出が将来の生産性、所得、企業収益、税収につながれば、赤字国債は単なる穴埋めではなく、将来の余地を作る財源になる。

    日本で成長投資型に近い例としては、戦後の社会資本整備、科学技術・研究開発への支出、近年のGX投資や半導体関連支援などが挙げられる。道路、港湾、鉄道、電力、通信などの社会資本整備は、企業活動や物流、都市形成を支える基盤になった。科学技術、教育、研究開発への支出も、人材や技術の蓄積を通じて長期的な成長力に関わる。近年では、GX、半導体、デジタル、エネルギー安全保障などへの支援も、成長投資として語られやすい。

    ただし、成長投資は名前だけでは判断できない。民間投資を呼び込めなければ、政府支出だけで終わる。生産性が上がらなければ、将来の税収基盤は強くならない。既存産業の延命に偏れば、低成長の構造を変える力は弱い。

    失敗の型もある。需要が弱い分野に資金を投じる。民間投資を呼び込むのではなく、民間の投資を置き換えるだけになる。退出すべき事業や企業の延命に使われる。補助金を受けること自体が目的化し、成果の検証が弱くなる。この場合、成長投資という名前でも、新しい凹は広がりにくい。

    また、成長投資には専門性があるため、表面的な横槍が必要な投資の足を引っ張ることもある。一方で、利権化、特定業界への偏り、用途外使用、効果検証の欠如への監視は必要である。成長投資型は、ただ疑って潰すのではなく、必要な投資と利権化した支出を分ける必要がある。


    ただし、この六類型は、現実の赤字国債を機械的に一つの箱へ入れるための分類ではない。実際の財政運営では、景気悪化への対応が長引いて低成長への移行と重なったり、減税財源が景気対策と一体になったりする。
    六類型は、赤字国債がどの性格を強く持つのかを見るための補助線である。重要なのは、赤字国債を一括りにするのではなく、危機対応なのか、税収不足なのか、制度維持なのか、政治的先送りなのか、低成長への移行なのか、成長投資なのかを見分けることである。


    三 赤字国債を見るための凸凹モデル

    —議論のすれ違いを整理するための補助線ー

    一 なぜ発行されたか、だけでは足りない

    前章では、日本の赤字国債を「なぜ発行されたか」で分類した。危機対応のための赤字国債。景気悪化による税収不足を補う赤字国債。社会保障や制度維持のための赤字国債。減税財源としての赤字国債。低成長への移行を支える赤字国債。成長投資のための赤字国債。この分類は重要である。危機対応の国債と、減税財源の国債では、社会的な受け止め方も、議論の割れ方も違う。景気悪化への対応と、低成長への移行でも、見るべき時間軸は違う。

    しかし、「なぜ発行されたか」だけでは、赤字国債の議論は整理しきれない。同じ赤字国債でも、その負担がどこで受け止められるのかによって意味は変わる。国内の貯蓄で受け止めるのか。金融機関や日銀のバランスシートで受け止めるのか。低金利や国債市場の信認で受け止めるのか。将来の税制変更や負担配分で受け止めるのか。つまり、赤字国債を見るには、二つの問いが必要になる。なぜ発行されたのか。そして、その負担はどこへ移されるのか。前章は、前者を整理した。ここからは、後者を見るための補助線を置く。

    二 凸凹で見てみる

    赤字国債を考えるために、ここでは一つの補助線として、凸と凹で見てみる。

    ここでいう凸とは、通常の財政や社会だけだと起きる不足や負荷である。災害による様々な被害。税収不足による行政サービスなどの不足。社会保障の質の低下。減税による歳入の穴。低成長で失われた財政の成長分。将来成長のために先に必要になる投資ができないこと。これらは、社会や財政のどこかに先に現れる「はみ出し」である。

    赤字国債は、この凸をならすための手段として使われる。ただし、ここでいう「ならす」とは、凸そのものを消すことではない。目の前のはみ出しを小さくすることである。一方、「移す」とは、その負担を別の受け皿に置くことである。赤字国債とは、目の前の凸をならし、その負担をどこかの凹へ移すための費用として見ることができる。

    三 凹とは何か

    凹とは、凸を受け止める余地である。ここでいう凹は、将来の期待そのものではなく、現在ある余白を指す。国内の貯蓄。金融機関の国債保有余力。日銀のバランスシート。低金利環境。国債市場の信認。円建てで発行できる条件。政府の徴税能力。赤字国債は、凸のはみ出した部分を、こうした凹にはめ込んでならすための費用として見ることができる。

    「将来成長するはずだ」「税収が増えるはずだ」「いずれ回収できるはずだ」という見込みは、この時点ではまだ凹ではない。現在存在する受け皿ではなく、凸を減らしたあとに新しい凹が生まれる可能性の話である。そのため、現在の凹と将来生まれるかもしれない凹は、分けて考える必要がある。

    四 凸の突起をならすという発想

    赤字国債は、多くの場合、凸の突起を小さくするために発行される。危機の被害を小さくする。景気の落ち込みを浅くする。社会保障や地方財政の急な劣化を防ぐ。減税によって家計や企業の負担を軽くする。低成長への移行による痛みをやわらげる。将来の成長に必要な投資を先に行う。凸の突起が小さくなれば、社会や経済は急激に傷みにくくなる。

    ただし、凸をならせばすべてうまくいくわけではない。どの凸をならしたのか。どの凹に移したのか。その凹は十分な受け皿だったのか。ここを見なければ、赤字国債の議論は噛み合わない。

    五 次章へ

    ここまで、赤字国債を、凸をならし、その負担を凹へ移すものとして見てきた。では、その凹は現実にはどこにあるのか。次章では、政府の赤字が経済のどこへ移されるのかを見ていく。

  • 第2章 低成長への適応(1973-1985)②

    4.生活防衛と貯蓄

    ー家計が支えた安定ー

    低成長への適応は、雇用、所得、消費、生活費を通じて、国民生活の中にも現れていく。物価が上がり、所得の伸びが鈍り、将来への不安が強まる中で、家計は日々の暮らし方を変えていった。国民は、生活を守るための選択を重ねながら、少しずつ低成長の時代に適応していった。

    石油価格の上昇は、生活費の圧迫として家計に現れた。エネルギー価格や原材料価格の上昇は、製品や生活必需品の価格にも波及する。高度成長期には、所得の伸びが物価上昇を吸収する部分も大きかった。低成長に入ると、同じ物価上昇でも、家計にとっての重さは増していく。物価は統計上の数字である前に、日々の買い物や光熱費の中で実感される負担だった。

    家計は、その負担に対して消費を見直し、生活防衛を強めていった。高成長期に広がった大衆消費社会は、ここで別の姿を取り始める。所得の伸びに合わせて消費を広げていく動きは弱まり、家計は必要なものを選び、支出を抑え、将来に備える方向へ向かった。

    この生活防衛は、社会の回路を閉じない役割も持った。急激に消費が崩れれば、企業の売上は落ち、雇用や取引にも影響が及ぶ。家計は支出を抑えながらも、生活を完全に閉じるのではなく、必要な消費を続け、雇用の安定を求め、将来に備える方向へ動いた。家計は、物価上昇と低成長を受け止める調整の場にもなっていった。

    その生活防衛は、貯蓄という形でも現れた。家計にとって貯蓄は、将来不安に備えるための手段だった。預金として金融機関に集まった資金は、銀行を通じて企業の設備更新や運転資金にも回っていく。国民が消費を抑え、貯蓄を厚くすることは、生活を守る行動であると同時に、金融機関を通じて企業や経済を支える資金の源泉にもなっていた。

    雇用の安定も、国民が低成長を受け止めるうえで大きな条件だった。所得の伸びが鈍っても、仕事が維持されることは生活の土台になる。企業が合理化を進めながら雇用をできるだけ維持しようとしたことは、社会の急激な不安定化を避ける力になった。その安定の下で、賃金の伸び悩み、労働現場での効率化圧力、家計のやりくりを通じて、低成長の負担は生活の中に分け入っていった。

    国民は、負担を受け止めるだけの存在ではなかった。生活防衛として消費を抑え、貯蓄を厚くしたことは、家計を守ると同時に、金融機関を通じて企業の調整を支える資金にもなった。企業が量を支える質を鍛え、政府と金融がその時間と資金を支え、家計が貯蓄によって金融の土台を作る。この役割分担があったからこそ、低成長への移行は、社会の大きな崩れに直結しにくかったのである。

    5.内で分散し、外で稼ぐ

    ー外需依存と対外不均衡ー

    国内では、企業、国家、金融、家計がそれぞれの場所で衝撃を分散していた。企業は生産の仕組みを変え、政府と日銀は景気と物価の急変を抑え、金融機関は企業への資金回路を保ち、家計は生活防衛と貯蓄によってその回路を支えた。高成長の前提を失ったあとも、衝撃が一か所に集中しなかったことが、低成長への移行を社会の大きな崩れに直結させにくくした。だが、衝撃を分散するだけでは、必要な成長分までは生まれない。

    家計の貯蓄は、金融機関を通じて企業の設備更新や運転資金を支えた。しかし、貯蓄が厚くなるということは、同時に消費として国内需要を押し上げる力が抑えられることでもあった。生活防衛として資金が貯蓄へ向かるほど、企業の適応を支える金融の回路は太くなる一方で、消費を通じて国内需要を広げる力は強まりにくかった。

    国内消費や国内投資は、日本経済の土台であり続けた。だが、その土台を痩せさせないためには、企業収益、雇用、賃金、税収を支える成長分が必要だった。低成長の中で問われたのは、その追加的な成長分をどこで作るのかだった。国内で衝撃を分散し、家計の貯蓄が企業の適応を支える一方で、消費主導の国内循環だけでその伸びを作り続けることは難しくなっていく。そこで、輸出と海外市場が大きな役割を持つようになっていった。

    国内で進んだ効率化と安定化は、海外市場では日本企業の競争力として現れた。企業は省エネルギー化や合理化によって生産の仕組みを変え、品質と効率を高めていった。その成果は、自動車、電機、精密機械のような分野で強く表れた。国内で作られた適応は、海外市場で競争力を発揮しやすい改善にもなっていった。

    この時期の日本では、国内循環を土台にしながらも、企業の競争力を海外市場で実現する比重が高まっていった。外需依存とは、単に輸出が増えたという話ではない。国内で分散した衝撃を、そのまま国内だけで処理し続けるのではなく、海外市場で得た成長分によって、雇用、所得、投資、税収の回路を痩せさせない構造である。外需は、国内循環の外側にある飾りではなく、低成長下の国内秩序を支えるための外側の栄養源になっていた。

    しかし、外で稼ぐ力が強まるほど、その成果は外との摩擦も生みやすくなる。国内で見れば、日本企業の競争力は低成長への適応の成果だった。しかし、輸出が伸びれば、相手国では輸入の増加として現れる。日本が貿易黒字を積み上げるということは、相手国の貿易赤字と結びつくということでもあった。

    内で分散し、外で稼ぐ構造は、国内では安定を支えた。しかしその安定は、貯蓄が企業の適応を支える一方で、消費の伸びを抑えるという形を含んでいた。国内消費の力強い拡大によって成長分を作るのではなく、外で稼いだ成長分を国内の安定の栄養源にする。その構造が続くほど、貿易不均衡は外側に蓄積していく。一九八五年のプラザ合意は、その構造が為替の場で調整を迫られる入口だった。

  • 第2章 低成長への適応(1973-1985)①

    一九七三年から一九八五年、衝撃分散と質的再編ー

    1.前提の崩壊

    ー固定相場制と石油危機ー

    高度成長期の日本には、復興需要があり、戦前から残された産業の土台があり、企業は設備投資を進め、金融機関は資金を供給した。政府もまた、成長の回路を整えていった。

    しかし、それだけではなかった。日本の外部には、アメリカを中心とする国際秩序があり、固定相場制による為替の安定があり、広がり続ける海外市場があり、比較的安いエネルギーがあった。高度成長とは、国内の努力と外部条件がかみ合った時代でもあった。

    一九七〇年代に入ると、その外部条件が大きく揺らぎ始める。大きなきっかけが、いわゆるニクソン・ショック、すなわち戦後の国際経済を支えてきたブレトンウッズ体制の終焉だった。

    アメリカのドルを軸にし、金との交換可能性によって支えられていた通貨秩序は、世界経済の拡大とドルへの信認低下の中で限界を迎えた。ドルと金の交換停止によって、その通貨秩序は大きく変わった。日本もまた、一ドル三六〇円という固定された為替相場のもとで、輸出を伸ばしてきた。しかし、その前提は崩れた。為替は固定された土台ではなく、変動すること自体が前提条件になった。

    もう一つの大きな衝撃が、石油危機だった。高度成長期の日本は、安い輸入エネルギー、とりわけ石油に大きく依存していた。生産、物流、生活のいずれにおいても、石油は成長の土台に組み込まれていた。

    そこに、第四次中東戦争を背景とした産油国の供給制限と価格引き上げが重なり、石油価格は急騰した。しかもそれは、一時的な混乱にとどまらず、安い石油を前提にした時代の終わりを意味していた。企業の生産コストは上がり、生活に必要な費用も上がった。固定相場制の終焉が外との交換条件を変えたのだとすれば、石油危機は、国内で生産し、生活するための費用を変えたのである。

    石油価格の上昇は、国民生活にも波及した。エネルギーや原材料の価格が上がれば、製品や生活必需品の価格にも影響が及ぶ。実際、一九七〇年代前半の日本では、物価が急激に上昇し、いわゆる狂乱物価と呼ばれる状況が生まれた。

    高度成長期にも物価上昇はあったが、その多くは所得の伸びによって吸収されていた。この時期には、物価上昇そのものが生活の不安として意識されるようになった。成長の中に埋もれていた負担が、生活費の上昇として表に現れたのである。

    一九七〇年代前半には、為替の安定が失われ、安いエネルギーの前提が崩れ、物価上昇が生活の表面に現れた。日本経済は、拡大を前提にして走る時代から、制約の中で調整しながら進む時代へ入っていった。

    ここで問われたのは、誰か一つの主体が危機を解決することではなかった。企業は生産の仕組みを変え、政府と日銀は景気と物価の急変を抑え、金融機関は資金の回路を保ち、国民は生活の中で負担を受け止める必要があった。高成長の前提が崩れたあと、日本経済は、その衝撃を一か所に集中させず、どう分散して受け止めるかを問われる時代へ入っていった。


    2.量を支える質

    ー省エネルギー化と合理化ー

    為替は固定された土台ではなくなり、エネルギーは安く使える前提ではなくなった。企業に求められたのは、高いエネルギー価格と為替変動の中でも生産を続け、国内外の市場で売り続けるために、量を支える質を高めることだった。

    石油価格の高止まりは、企業にとって大きなコスト圧力になった。企業は、省エネルギー化や合理化を進め、生産工程や設備のあり方を見直していく。エネルギーの使用量を抑え、無駄を減らし、品質や効率を高めることで、コスト上昇を吸収しようとしたのである。

    省エネルギー化と合理化は、単なる節約ではなかった。高いエネルギー価格と為替変動を前提に、競争力を維持するための生産の組み替えだった。

    その変化は、エネルギーの使い方にも表れた。第一次石油危機後、日本では実質GDPが伸びる一方で、エネルギー消費の伸びは強く抑えられていく。経済を動かす量を保ちながら、そこに必要なエネルギーを絞っていく。この切り離しは、単なる節電ではなく、生産の仕組みそのものの作り替えだった。

    高成長期に大きくなった経済の身体を、低成長の条件の中で動ける身体へ作り替える。これが、この時期の企業適応の核心だった。

    その変化は、産業の重心にも表れていく。エネルギーを大量に使う産業は、石油価格の上昇によって強い圧力を受けた。一方で、自動車、電機、精密機械のように、効率や品質、技術によって競争力を高める産業の存在感は増していった。

    産業構造が一気に入れ替わったわけではない。それでも、成長を支える中心は、量とエネルギーに大きく依存する分野から、効率と品質によって付加価値を生む分野へ、少しずつ移っていった。

    生産現場でも、無駄を削り、在庫を減らし、工程を詰める発想が強まっていく。ジャスト・イン・タイムのような考え方は、単なる工場管理の技術にとどまらない。限られた資源を、できるだけ無駄なく生産と利益へつなげるための感覚でもあった。高成長期のように、量の拡大が多くの粗さを覆ってくれる時代ではなくなる中で、企業は量を支える質を内部から鍛え直していった。

    省エネルギー化や合理化は、企業ごとの努力によって進められていった。労働現場では、生産工程を見直し、無駄を減らし、限られた人員や設備でより高い効率を求める動きが強まった。中小企業や下請け企業も、厳しい条件の中で技術を磨き、納期や品質への対応力を高めながら適応していった。

    一方で、取引関係の中では、コスト削減の一部が下請けや中小企業に転嫁される場面もあった。企業の適応は、現場ごとの工夫と努力によって支えられながら、同時に負担の置き場所を変えていく過程でもあった。

    企業は、外部条件の変化を、生産の仕組みの中で受け止めていった。省エネルギー化、合理化、品質や効率の改善は、企業の利益を守るだけのものではない。コスト上昇を吸収し、雇用を維持し、取引を続け、国内外の市場で売り続けるための仕組みだった。企業は、石油危機と為替変動の衝撃を、生産構造の中へ分散して吸収したのである。

    ただし、企業だけでこの調整が成り立ったわけではない。設備を更新し、生産を続け、取引を維持していくには、資金の流れや景気の下支え、物価への対応が必要だった。企業が生産の仕組みを鍛え直すためには、その時間と資金を支える回路が必要になる。そこで前に出てくるのが、政府、日銀、金融機関だった。


    3.時間と資金の回路

    ー財政・日銀・金融機関ー

    政府、日銀、金融機関が支えたのは、企業の代わりに成長を作ることではなかった。企業が生産の仕組みを組み替えるための時間と資金、そして物価の見通しだった。

    政府は、財政支出によって景気を下支えした。公共投資や各種支出を通じて需要を保ち、一九七五年には赤字国債の発行に踏み切る。高度成長期のような自然な税収増を前提にできなくなる中で、政府は借金を通じて景気を支える局面に入った。

    この財政支出は、単に景気を押し上げるためのものではなかった。需要が急落すれば、企業の取引は細り、雇用も揺らぎ、地域経済にも波及する。政府は財政によって、その連鎖が一気に切れることを防ごうとした。赤字国債は将来の負担の芽でもあったが、この局面では、需要の穴を埋め、企業が生産の仕組みを組み替えるための時間を稼ぐ手段でもあった。

    八〇年代に入ると、赤字国債の発行は財政運営への負担も意識させるようになり、行政改革や民営化を通じて政府部門を引き締めようとする動きも強まっていく。ただし、この点を厚く扱うのは次の局面でよい。ここで重要なのは、財政が低成長への移行を支える緩衝材として前面に出てきたことである。

    日銀は、石油危機後のインフレに対して金融引き締めで対応した。公定歩合を引き上げ、過熱した物価を抑え込もうとしたのである。狂乱物価のあと、物価安定は経済運営の大きな課題になった。

    金融引き締めは、景気や企業活動に痛みを与える対応でもあった。しかし、物価上昇が続けば、企業は将来のコストを読みにくくなり、家計は生活費への不安を強める。日銀は、通貨と物価への信任を取り戻すために、経済全体の熱を冷ましていった。物価の安定は、企業が長い目で省エネルギー投資や設備更新を進めるための予測可能性にもなった。

    金融機関は、企業の調整を資金面から支えた。銀行は、企業との継続的な取引関係をより深め、省エネルギー投資、設備更新、運転資金を支えていく。企業が生産の仕組みを変えるには、資金が必要だった。銀行を中心とする金融機関は、融資を通じて、企業が新しい条件に適応するための回路を保った。

    重要なのは、資金の流れがそこで閉じなかったことである。企業が今日明日の資金繰りだけに追われれば、生産の仕組みを作り替える余裕は失われる。金融機関の融資は、企業が低成長の条件に合わせて身体を鍛え直すための回路になった。

    政府、日銀、金融機関の対応は、それぞれ別の方向から低成長への移行を支えていた。政府は需要の急落を和らげ、日銀は物価への信任を取り戻し、金融機関は企業への資金回路を保った。これらが噛み合ったことで、コスト上昇や不況の衝撃は一か所に集中しにくくなり、企業が鍛え直すための猶予が生まれた。

    この役割分担が機能したのは、高成長期に速度重視で拡大してきた経済の中に、まだ使える余白が残っていたからでもある。企業には、生産工程を詰め、エネルギーの使い方を見直し、品質と効率を高める余地があった。政府には、赤字国債という負担を伴いながらも、財政で需要の急落を和らげる余地があった。日銀には、公定歩合を通じてインフレを抑える手段があり、金融機関には、企業へ資金を流す継続的な関係があった。家計にも、雇用を土台に生活を守り、貯蓄を通じて金融の資金源となる余力があった。速度優先で広げられた経済の身体には、削れる場所、組み替えられる場所、支え直せる場所が、まだ残っていたのである。

    ただし、この安定は負担を消したものではなかった。財政による下支えは赤字という形で将来の財政運営に影を落とし、金融引き締めは物価を抑える一方で景気や企業活動に圧力をかけた。銀行と企業の関係は調整を支えたが、資金の流れを既存の関係の中に留めやすくもした。そして、それらの調整は制度や企業の内部だけで完結しない。雇用、所得、消費、生活費を通じて、国民生活の側にも現れていくことになる。